古い価値観を感じさせるも映画の作られ方は“現代的” 『スカイスクレイパー』の作品構造を読み解く

『スカイスクレイパー』の作品構造を読み解く

 本作は、ドウェイン・ジョンソン主演のアクション・コメディー『セントラル・インテリジェンス』(2016年)の他に、麻薬を運ぶ偽家族を描いた『なんちゃって家族』(2013年)という、 質の高い過激コメディーを手がけた、手腕あるローソン・マーシャル・サーバー監督が、演出・脚本を担当している。だから、本作がオリジナリティが全く欠如した、単なる焼き直しアクション映画でしかないとは考えにくい。

 注目すべきは本作が、基になったアクション映画と比べ、より荒唐無稽な内容だという点である。そもそも100階ほどの高さを、鉄骨をつかんでよじ登っていくというのは、いくらドウェイン・ジョンソンの演じるキャラクターが鍛えているとしても、あり得ないだろう。また、家族が危機に陥っているときに、「ダクトテープ」の便利さを賞賛している描写についても、アクションを中心とする映画としては、ふざけすぎている印象がある。だが、これらユーモアの効いたシーンは総じて、批評家の苦言に反し、観客の反応が良い。やはりローソン・マーシャル・サーバー監督は、アクションそのものというより、その前後で俳優に演じさせるコメディー演出こそが核にあるのだと思える。

 ということで本作は、直球のアクション映画というよりは、じつはアクションのあるコメディー映画だと考えた方が実際に近いのではないか。その意味でいうと、本作における数々の引用というのは、基本的にはコメディーの文脈として、一時代のアクション映画にありがちな描写を意図的に連続させていくパロディー演出であるように思える。

 そして同時に、複数の作品を混合することで新しいものを生み出す手法は、現在のトレンドであるともいえる。いまハリウッドで活躍している監督や脚本家の多くは、アルフレッド・ヒッチコック監督や、スタンリー・キューブリック監督のような天才的で独創的な思いつきからスタートするというよりは、既存の作品の構造を解体し、新たにその素材を組み合わせて、一つの作品を作る“アレンジャー”タイプではないかと感じる。そこで求められるのは、映画のマニアックな知識だったり、洗練されたセンスなどである。

 このような流れを加速させたのは、ケヴィン・スミス監督やリチャード・リンクレイター監督など、90年代のインディーズ出身監督である。とくに『パルプ・フィクション』(1994年)でカンヌ映画祭の最高賞を受賞し、マカロニ・ウェスタンなどジャンル映画のパロディーを作品内で繰り返し続けている、クエンティン・タランティーノ監督の出現は、「映画オタク」が自分のいびつな想い入れを作品のなかに色濃く投影することへの免罪符になったように感じられる。彼の引用が面白いのは、ただそれらの作品のようなものをそのまま作るのではなく、引用元とは全く異なる映画にしてしまうところだ。美術用語では、こういった試みを「レディ・メイド」と呼ぶ。

 本作『スカイスクレイパー』は、手堅いアクション映画としても成立するように作っているため、『パルプ・フィクション』ほどにはコンセプチュアルではないにせよ、『デッドプール』(2016年)の主人公がそうであるように、ドウェイン・ジョンソンがしばしば映画の世界の外に出て、自分の映画を観客とともに俯瞰して見ていると感じられるという、通常のアクション映画では見られない瞬間が何度もあった。ここで“監督の視点”がどこに存在しているかが、なんとなく分かってくるはずだ。このように、違った角度から本作を眺め、その作風を読み取っていくと、また評価が変わってくるのではないだろうか。

 また、今回ドウェイン・ジョンソンが演じているのが、義足を役立ててピンチを乗り越えるヒーローであること、そしてその境遇を過度に深刻に描かないという姿勢は、多様性の尊重の面から記憶されるべき点だろう。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。

■公開情報
『スカイスクレイパー』
全国公開中
監督:ローソン・マーシャル・サーバー
出演:ドウェイン・ジョンソン、ネーヴ・キャンベル、パブロ・シュレイバー、チン・ハン
配給:東宝東和
(c)Universal Pictures
公式サイト:skyscraper-movie.jp

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