運命に翻弄される存在から“主体”の獲得へ 『寝ても覚めても』朝子の一歩を捉えたカメラの誠実さ

『寝ても覚めても』が描いた運命と主体性

 もちろん、「運命」はまだまだ朝子を翻弄する。麦の存在は朝子と亮平が築いてきた関係をただちに壊しかねない不穏さで映画を覆うことになる。もし麦が再び朝子の前に現れてしまったらふたりはどうなってしまうのだろう……tofubeatsの不穏な音楽とともに、その不安が映画のスリルとなっていく。朝子はそのとき、運命に立ち向かうことができるのか?

 だが同時に、わたしたちはすでにあの一歩を目撃してもいる。もしかすると朝子は、自らの意思でまた足を前に進めるのではないか――そう期待もする。だからこそ、わたしたちは映画のクライマックスで――とんでもなく大胆なロングショットとともに、想像をはるかに超える朝子の獰猛な疾走を目の当たりにするとき、鮮烈な感動を覚えるのである。そこではもはや「運命」など関係ない。朝子は自分が望むものに向かって全力で足を前に出し続け、その意思こそが映画のアクションへとなだれこんでいる。

 ラストショットのふたりの複雑な表情は、まったくもって見事である。それは、これで問題が解決したことを示すのではなく、解決することが絶対にない問題をはじめてふたりが共有したことを雄弁に映し出しているからだ。これからも「起こるはずのない、避けようのない」ようなことがふたりを苦しめるだろう。だが少なくとも、ふたりは同じ方向を見ている。きっと同じ方向に足を出すことができる。「運命」などという言葉は結局言い訳にすぎず、すべては、小さく頼りなくともたしかな一歩を前に踏み出せるかに懸かっているのである。

■木津毅(きづ・つよし)
ライター/編集者。1984年大阪生まれ。2011年ele-kingにてデビュー。以来、各メディアにて映画、音楽、ゲイ・カルチャーを中心にジャンルをまたいで執筆。編書に田亀源五郎『ゲイ・カルチャーの未来へ』。

■公開情報
『寝ても覚めても』
テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷シネクイントほかにて公開中
出演:東出昌大、唐田えりか、瀬戸康史、山下リオ、伊藤沙莉、渡辺大知(黒猫チェルシー)、仲本工事、田中美佐子
監督:濱口竜介
原作:『寝ても覚めても』柴崎友香(河出書房新社刊)
脚本:田中幸子、濱口竜介
音楽:tofubeats
製作:『寝ても覚めても』製作委員会/COMME DES CINEMAS
製作幹事:メ〜テレ、ビターズ・エンド
制作プロダクション:C&Iエンタテインメント
配給:ビターズ・エンド、エレファントハウス
2018/119 分/カラー/日本=フランス/5.1ch/ヨーロピアンビスタ
(c)2018 映画『寝ても覚めても』製作委員会/COMME DES CINEMAS
公式サイト:www.netemosametemo.jp

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