ポップアートとしての『ポプテピピック』ーーその先進的構造の背景を読み解く

ポップカルチャーに埋もれた世代

 庵野秀明監督は、『新世紀エヴァンゲリオン』を作る前に、精神的に落ち込んだ状態にあったといわれる。本人の発言によると、作品づくりにおいて、自分のベースにはアニメや特撮などオタク的な要素しかなく、そういうものを作り続けていくことに絶望した部分があったのだという。そこから開き直って、そのようなオタク要素をドシドシつめ込んで再構成したものが『エヴァ』だったわけだ。それはオタク文化で育ち、自分自身の新しい表現というものが希薄な「コピー世代」の戦い方だったといえよう。しかし、その出来は単なるパロディーに収まらなかったことは周知の通りだ。

 そういう意味で、本シリーズの原作となった漫画『ポプテピピック』も、漫画、アニメ、ゲーム、アイドルソング、B級映画など、ハイカルチャーからすると、いわば枝葉と見なされる文化ばかりを享受してきただろう作者による作品であり、そういう読者に向けた作品になっているといえる。面白いのは、ここに登場するポプ子とピピ美という、あらゆるポップカルチャーを消費しながら、同時に強い“空虚さ”を感じる存在というのは、そのことを自虐的に象徴化したものとなっているということだ。

 さらに興味深いのは、アニメ化された本シリーズが、原作同様に80年代以降のポップカルチャーの文物をパロディー化しているにも関わらず、それらの洗礼を浴びていない若い世代が、これを楽しんで見ることができているという現象である。それは、パロディー満載のクエンティン・タランティーノ監督作が、元ネタが分からない観客でも十分に楽しめるという現象に近い。

ポップアートと『ポプテピピック』

 現代美術に決定的な影響を与えたマルセル・デュシャンは、1917年に男性用小便器を横に倒しただけのものを「泉」と名付けて出品しようとした。この、“既存のものに新しい意味を与える行為”は、美術用語で「レディ・メイド」と呼ばれることになった。アンディ・ウォーホルは、その考えをさらに進め、キャンベルスープ缶やマリリン・モンローなど既存のイメージを利用し、大衆文化を美術にとり入れる。ロイ・リキテンスタインやウォーホルのようなアーティストは、このような方法で「ポップアート」を確立させていった。

 大衆的な文化を、あたかも別のものとして甦らせるというポップアートは、ある種のパロディーとも近い。「これ知ってる?」という面白さだけでなく、それ自体が一つの作品として新たな意味づけがなされ、新たな価値が生み出されているのである。

 美術に本格的に関わった者ならば、ポップアートとパロディーを結び付けることに意識的なはずである。アート集団によるアニメ『ポプテピピック』は、原作の持っていたポップカルチャーへの批評性を、さらに自覚的に先鋭化させ、そこを“新しい何か”を生み出すための、ある種の実験場・遊び場にすることに成功したといえる。すでに様々な成果が生まれているが、今後も次々に新しいものが『ポプテピピック』という土壌から生まれてくる可能性がある。

 ポプ子とピピ美は、ポップカルチャーの表層を擬人化したような中身のない存在だ。それだけに感情移入するような対象にはなりにくいが、だからこそ、様々なクリエイターの触媒となり、斬新な発想をも受け入れてくれる柔軟性と余裕を持っているように感じる。その自由さこそが、『ポプテピピック』の強みである。そしてポプ子は、ピピ美は、この国の“流行”を担う女子学生の姿を借りて、「ポップとは何か」という根源的な疑問を、絶えずわれわれに投げかけてくるのだ。

※日高のり子の「高」は「はしごだか」

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■放送情報
『ポプテピピック』
TOKYO MX1ほかにて毎週土曜深夜1:00〜放送中
キャスト:【ポプ子】三ツ矢雄二、江原正士、悠木碧、古川登志夫、小松未可子、中尾隆聖ほか、【ピピ美】日高のり子、大塚芳忠、竹達彩奈、千葉繁、上坂すみれ、若本規夫ほか
原作:大川ぶくぶ(竹書房『まんがライフWIN』)
企画・プロデュース:須藤孝太郎
シリーズ構成:青木純(スペースネコカンパニー)
コンセプトデザインワークス:梅木葵
シリーズディレクター:青木純(スペースネコカンパニー)、梅木葵
アニメーション制作:神風動画
製作:キングレコード
公式サイト:http://hoshiiro.jp/

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