油絵が動くアニメ『ゴッホ~最期の手紙~』はどう作られた? 前代未聞の手法に迫る

『ゴッホ~最期の手紙~』前代未聞の手法

■ゴッホの手法は精神そのものである

 宮崎駿や高畑勲といったアニメーション界の巨匠は、従来のアニメーション技術による表現に限界を感じていたことを述懐している。それは、動かない背景はどこまでも詳細に描いていけるが、キャラクターなどの動画部分は、どうしてもペッタリとした立体感のない描き方、色の塗り方になってしまうという点である。彼らはそれぞれの方法で、その表現の鎖を断ち切ろうとし、とくに高畑勲監督は、『かぐや姫の物語』において、筆で描いた自然な絵の魅力を表現することに成功した。そして本作『ゴッホ~最期の手紙~』もまた独自の方法で、背景も動画も、同じ手法で絵を描くことに成功しているのだ。しかもそこにダイナミックなカメラワークが加われば、画面に映る全ては動画となる。 

『星月夜』

 ゴッホの絵画の特徴は、何といっても燃え上がるような筆さばきである。絵筆は素早く走り、美しい直線を、躍動する流線を生み出していく。『星月夜』、『夜のカフェ』、『タンギー爺さん』、『オーヴェルの教会』、『ピアノを弾くマルグリット・ガシェ』、『カラスのいる麦畑』…これら有名な絵画作品を中心に、本作はその筆致と鮮やかな彩りが見事に再現されている。

 観客によっては「天才ゴッホの絵を模倣したところで、その芸術性が再現できるわけがない」と批判するかもしれない。だが、ゴッホ自身も、ジャン=フランソワ・ミレーの『種まく人』を何度も模写し、パリで流行していた印象派の画家の手法を積極的にとり入れ、日本の浮世絵の模写を何枚も描いている。ゴッホにとって模写をすることは、ただその絵の表面的な面白さを追うというだけの行為ではない。彼は自らを「農民画家」と呼んだように、農民をこれ以上なく美しく描こうとするミレーの精神性に少しでも近づこうとしていたし、日本の優れた絵から感じる自然への謙虚なアプローチに心打たれ、その思想を見習おうとしていた。絵を模写することは、描いた人間の心に近づくということでもあるのだ。であれば、ゴッホの気持ちを探ろうとする本作が、ゴッホの絵を模写するというのは意味のあることだと思える。

■天才・ゴッホの死の謎に迫る

 本作はゴッホの死後から始まる。親友だったジョゼフ・ルーランが、ゴッホから託された手紙を、息子のアルマンに届けさせるという設定で物語が進んでいくのだ。ダグラス・ブースが演じる、本作の主人公アルマン・ルーランは、ゴッホが肖像画を描いたこともある美青年である。この青年は、手紙を届けるためゴッホの足跡をたどりながら、様々な人間に会っていく。そのなかで彼はゴッホという一人の人間の実像に興味をもって、「拳銃で腹を撃って自殺した」といわれる彼の死に疑問を持ち、その真相を調べていくようになる。

アルマン・ルーラン

 手紙を書くことを習慣化していたゴッホ。彼の手紙はいまも残されており、それが彼の人となり、生活、思想を知る手掛かりとなっている。それを参考に多くの人間がその生涯を研究したが、いまだ謎に包まれているのが、彼の死の原因であり理由である。もちろん日頃から彼に寄り添って、事件の現場を見ていない限り真実は分からない。本作は研究されている諸説、そして彼の作風のなかから、一つの解答を見いだし提示する。それは、彼の絵画作品がそうであるように、ゴッホの「人への思いやり」を直接的に物語るものだ。弟や妹、友人のゴーギャンたち、素朴な生活を送る周囲の人々への深い愛情…。激情的で自分の耳を自分で切り落とすなど、狂気と正気の間をさまようイメージで知られているが、彼の本質は優しい愛情にこそあるのだと本作は語っているのだ。

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