矢口史靖監督が語る、『サバイバルファミリー』の裏側と独自の製作スタイル「発見がなきゃつまらない」

矢口史靖監督インタビュー

CGでは表現できない“オールロケ”へのこだわり 

――先ほども言ったように、個人的に、この映画は非常に奇妙な映画だなと思っていて。まず、前半部分は、ほとんど音楽が流れない無音の状態で、物語が進行します。

矢口:はい。映画っていうのは、普通劇伴の音楽をつけて、それは映画のストーリーの進行上、「ここは楽しそうなシーン」、「ここは悲しくなるシーン」みたいに、観客をわかりやすく誘導してあげるために使うんです。だけど、この映画は、主人公一家と一緒に観客も迷わせるのが目的としてあり、まわりから音楽やアナウンスが消えちゃったとき、どんな気分になるかを感じてもらいたかった。それを登場人物のセリフなどではなく、お客さんが観ているあいだに、「あ、音楽がなかったんだ」って、気づく人は気づくという。そういう違和感を体感してもらいたかった。だから、今回は極端に音楽を減らしました。その分、環境音がよく聴こえるようにして。そこはすごく気をつけましたね。

――それこそ、ディザスター映画にありがちな、派手な劇伴で盛り上げることをせず、とりわけ前半は淡々と、登場人物たちも、さほど会話をするわけでもない。

矢口:この主人公一家は、いわゆる仲良し家族じゃないですからね(笑)。だから、最初からしゃべり出すっていうことは、あんまりなくて。きっと、映画館の中のほうが、劇場の外より静かだったんじゃないですか(笑)。そういう非日常の静けさを、映画館で体験してもらいたいっていうのは、ちょっとありました。

――あと、ディザスタームービーでありながら、CGや合成に頼らないやり方で作っていますよね? その方針は、結構早い段階から決めていたのですか?

矢口:そうですね。CG技術がどんどん進んできているのは、僕も悪いことじゃないと思います。映像表現のやれる範囲が広がっていくことなので。ただ、特撮がもともと大好きな僕の目からすると、CGってすぐわかっちゃうんですよね。で、「この大事なシーンで、なぜCGを使う?」とか「ちょっと頑張れば実写で撮れるシーンを、なぜ合成で撮るんだ?」とか、映画を観ていてもCMを観ていても思ってしまうんです。「そこは頑張れよ」って、やっぱり思っちゃうんですよね。

――先ほどのメールの話と同じですよね。便利になって、何か大事なものが失われてしまったというか。

矢口:そうなんですよ。で、そういうことに気づく人は、やっぱりそこで冷めてしまうんですよね。ただ、最近はデジタルの合成やCGが氾濫してしまっているので、普通の観客も目が肥えてきて、はっきり意識しなくても、どっかで「あ、これは現実ではないよな」って、そのリアリティを感じなくなってきている気がするんです。

――ある種の“フィクション脳”というか、無意識のうちに、そういうものとして観てしまっていると。

矢口:それって、緊張感をどんどん削いでいくんですよ。「ホントにやっちゃってるけど大丈夫かな?」みたいなことを、映画を観ているあいだ、俳優さんたちが体験しているってちゃんと思えないと、それは危険にも見えないし、ドキドキハラハラもしない。なので、この映画は、そこをとても大事にしたんです。豚にしろ、川にしろ、高速道路にしろ、グリーンバックで合成することをせず、というか合成で撮れますよって言われそうなところを、前もって「オールロケで行きたいんです」って言って。まあ、スタッフは、みんな困っていましたけど(笑)。

――でしょうね(笑)。

矢口:でも、早めに言えば何とかなるというか、いろんなロケ地を探したりできるわけですよね。まあ、その分、スタジオで撮って合成すれば3日で撮れそうなところが5日かかったりするんだけど、ここは大事だから5日かけて、他のところを圧縮するとか、そうやってバランスを取れば撮れるんです。時間をかけてやるっていうことと、全部ロケでやるっていうことが、この映画にはすごく合っていたと思うんです。

――先ほどの音楽の話と同じように、全編ロケ撮影していることが、映画を観ているうちに、だんだんとわかってきます。

矢口:そう。だから、いちいち「ホントにやってますよ。すごいでしょ?」っていう見せ方ではなくて、観ているうちに、「あ、これ、全部ホントにやってるんだ」って、どこか早い段階で感じてもらえれば、あとはもう、そのつもりで見てもらえるわけですよね。家族が踏んだり蹴ったり、濡れたり落ちたりっていうのを、自分のことのように、冷たかったり痛かったり感じてもらえる。そうすれば、その後の出会いや別れ、感情の起伏も、素直に感じてもらえるんじゃないかと思っていて。

――この映画は、町のシーンが仙台で、高速道路のシーンは山口だったり、実は日本全国でロケをしているんですよね。欲しい画を撮るためのロケ地探しは、相当苦労されたんじゃないですか?

矢口:まあ、苦労したのは、スタッフですよね(笑)。痛い目に遭ったのは俳優さんだし。

――(笑)。監督は?

矢口:僕は、まず台本を書いて、プロデューサーやスタッフたちから、「撮影できる高速道路の料金所が、見つかりません!」って連絡がきたときに、「すいません、もうひと頑張りお願いします。そこは何としても実写で撮りたいので」ってお願いしたり……結局、料金所のシーンは、静岡の富士スピードウェイで撮ったのですが、装飾部分を減らしてカット数を減らしたら、この予算内でも撮れますよねって、実際に絵コンテを書いて、美術さんと交渉してとか、そうやって映画の技術を使って、撮れなさそうなものを、撮れるところまで持っていく。それが僕の役割なんです。で、そうやって結構緻密な作業をしていけば、限りある予算と日本国内でも何とか撮れるかなと。別に外国に行って、完成前の高速道路を使わなくても撮れるんです。

――なるほど。

矢口:もちろん、大抵の映画は多分、監督もスタッフも俳優さんも、相当努力していると思うんですよ。ただ、それが結果として、努力した分だけ画になるかっていうと、それが必ずしも直結するとは限らなくて。現場ではすごい面白そうだったのに、できあがった画はこんなちょびっとだったっていうこともあるし、そんなに頑張らなかった気がしたけど、編集と音楽ですごくうまくいく場合もあるんです。やっぱり、映画っていうのは生ものなんですよね。そうやって、セオリーが無い分、面白いというか。まあ、この映画は、編集もあんまりしないし、音楽もつけないから、現場でどれだけ頑張ったかが、そのまま画に出ていて……結果的に、現場でやったことは、そのまま見えた形になったかなって思います。

――今の話を聞いていて思いましたが、この映画は、ディザスタームービーと言うよりも、むしろロードムービーに近いものがありますよね。

矢口:そうですね。全員であっちこっち渡り歩きながら撮っているので。ホント、ロードムービーですね(笑)。東京のスタジオで撮って、あとから合成しても、同じストーリーは作れるのかもしれないけど、多分観たあとの気持ちが、全然違うものになったと思うんですよね。

――家族が旅立ってからは、敢えてドキュメンタリーのような撮り方をしていますよね? そこが、これまでの矢口作品と違うというか。

矢口:ただ、僕がこういう新しい撮り方をしたいから、そうしたということではなくて、この題材だから、この撮り方なんです。電気がついているあいだは三脚とドリーを使っていますけど、電気が消えてからは、ずーっと手持ちカメラで撮っています。結局、ほとんど手持ちで撮っているんですけど、それはまるでドキュメンタリーを見ているかのような、4人家族にもうひとりカメラが加わって、5人目としてそばで覗き見しているみたいな気分になってほしかったからなんです。

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