宮台真司×黒沢清 対談:黒沢作品における“取り残された者の呪い”をめぐって

宮台真司×黒沢清特別対談

秩序回復から取り返しのつかなさへ

宮台:小指の先でも出来るシネフィル的分析は横に置き、その辛さを解消する方向でお話しさせていただきます。連載で『岸辺の旅』(2015年)を取り上げた際にも書いたことですが、黒沢清監督の映画は、エンターテインメント作品、あるいは古くから“見世物”の基本ですが、通過儀礼(イニシエーション)モチーフが非常にはっきりしているんですね。

 最初に日常があり、そこから離陸してカオスを経験し、ラストで着陸を迎える。推理ものもサスペンスものも似たモチーフを持ち、当然アメリカの映画もほとんどがこの形式ですが、詳しく見ると、それらは秩序回復モチーフではあっても、通過儀礼モチーフではありません。通過儀礼モチーフでは、離陸面と着陸面が明白に異なるからです。「離陸→渾沌→着陸」という展開自体は娯楽作品の王道的なモチーフなのですが、普通は秩序が回復して終わるのに、黒沢監督の作品はこの「普通」がありません(笑)。離陸面と着陸面の落差が、何らかの“気付き”を与えるのですが、“気付き”を得た瞬間に映画は終わり、その“気付き”がいいことか悪いことかは保留されたままで観客は放置されます。

黒沢:おっしゃるとおりで、それは認めますね。ささやかなことではあるのですが、一応、現実にほとんど似たある世界観から始まって、2時間ぐらいの間、何かが進行していったら、やっぱりもう元の世界観に戻る(=秩序が回復する)というのはおかしいと感じるんです。絶対に変わっているはずだと。物語のなかで人間ももちろん変わっていくわけで、その影響というのはーー現実にどうかはわかりませんが、少なくとも映画の中の世界は、その人物たちのドラマを経た何かが世界にも影響を及ぼしているはず。それがどういう結末を迎えたかまではわかりませんが、明らかに何か変化があったということまでは提示したいと思っているんです。それは責任感なのか、単純なつくる側の欲望なのかはわからないですけども。

宮台:よくある娯楽は「秩序回復モチーフ」です。黒沢監督の「通過儀礼モチーフ」も「離陸→渾沌 →着陸」と構造的には似ますから娯楽として楽しめますが、よくある娯楽ではありません。思えばヒッチコックの『めまい』(1958年)も娯楽作品ですが、最後にどうなったのかが議論され、多くの人が深読みを重ねてきた。つまり、よくある娯楽ではないのです。

黒沢:『めまい』はまさにそうですね。何がなんだかわからないけれど、ここから先、新しい何かに向かっていくしかないーーもう後戻りはできない、という感じが強烈にします。裏を返せば、それが希望だとも言えるわけです。元に戻ることが全然希望とは思えない、という。困難かもしれないが、先に向かっていくということはやはり、希望なのではないでしょうか。ですから、どんな経緯の物語であっても、最後はもう元には戻れないことだけは確実だ、という感じで終わりたい。何故そう思うのかはわかりませんが、それがやりたいことのひとつではあります。

宮台:『めまい』のラストがハッピーエンドかどうか。少なくともこうは言えます。「自分はうまく生きられているし、それなりに幸せだ」と思っていた人が、自分がただの操り人形だったとか騙されていたとか気付くことがあった場合、それでも騙されていたままなら良かったと思うのか、本当のことを知って良かったと思うのか。これは重要な岐路です。黒沢監督作品にはこの分岐がいつも伏在します。そして元に戻ることより本当のことに気付くことの方がはるかに大切だという価値観が示されます。エンターテインメントとしてもはるかにカタルシスがあるはずだという見込みもそこには伺える。そして実際「取り返しのつかないこと」が起こっているのではないかという“不穏さ”が目を釘付けにします。

時代の無意識が追い付いてきた

宮台:黒沢監督作品では20年以上前からそうした構造が顕著だと思いますが、ゼミの学生たちに映画を観せて議論していると、秩序回復で終わる作品ではなく、「取り返しがつかない」ところで終わる作品じゃないと、近頃は誰も納得しなくなってきているんじゃないかと感じます。実際、黒沢監督作品のウケが年々よくなっていると感じているんです。

 『誰よりも狙われた男』(2015年)、『われらが背きし者』(2016年)など(ジョン・)ル・カレのスパイ小説を原作とした映画が公開されて好評を博していますが、「取り返しのつかなさ」が前面に押し出されているからだと思います。「社会は理不尽で、個人が立ち向かったところでどうにもならない」という感覚がデフォルトになりつつあるのです。

 人々が何を面白いと感じるのかも、社会的な関数の産物です。秩序回復よりも、むしろ気付いたときにはすべて取り返しがつかず、そこから何が始まるのか少しもわからない……という物語を人々が望み始めています。実際そういう娯楽映画が増えてきています。黒沢監督の作品は明らかにモチーフを先導していたので、時代が追いついたのですね。

黒沢:娯楽という言葉でいいのかどうかわかりませんが、それが一般の人が「なるほど」と腑に落ちてくれる物語になっているなら、嬉しいことだなと思います。かつてはだいたいキョトンとされたり、なかったことにされたり、厳しい結果になることが多かったものですから(笑)。一方で、インテリが謎を解くために機能する物語も、もちろん重要だと思います。実社会こそ謎だらけなわけですから、僕の作り出したフィクションが、そんな現実を解釈するためのヒントに少しでもなるのなら、嬉しいことですね。

宮台:確かに『カリスマ』(1999年)とか『ドッペルゲンガー』(2003年)とかは、僕は映画評で絶賛しましたけれど、皆さんはキョトンでした。それは非常に残念でしたが、もし今、公開されていれば、多くの人は「待ってました」となるはずのものです。

黒沢:多分ほとんどの人はついてこれないよな、とわかっていてやるんですから自業自得ですが、ただ狙っているというより、一度語り始めた物語を、可能な限りこちらの想像力の及ぶところまで語って終わろう、と考えると、そこに行き着いてしまう。そうじゃないと「嘘」になってしまうんです。もちろん、映画ですから最初から嘘をついているのですが、その辺がポイントなのかなと。

宮台:つまり、当初は「黒沢監督の無意識が表現されている」で良かったのですが、最近は「時代の無意識が表現されている」と言う他なくなった。ということで「あなたがここに表れている」と指摘される辛さも少しは解消されたかと思いますが、さて、「噓」というのもひとつのキーワードですね。そこについても伺いたいと思っていました。(続きは、12月27日発売の書籍『正義から享楽へー映画は近代の幻を暴くー』にて)

(取材=神谷弘一/構成=橋川良寛)

掲載タイトル一覧

『リップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁』
『クリーピー 偽りの隣人』
『バケモノの子』
『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』
『野火』
『日本のいちばん長い日』
『ドローン・オブ・ウォー』
『岸辺の旅』
『恋人たち』
『アレノ』
『起終点駅 ターミナル』
『FAKE』
『カルテル・ランド』
『LOVE【3D】』
『さざなみ』
『キム・ギドク Blu-ray BOX 初期編』
『二重生活』
『シリア・モナムール』
『シン・ゴジラ』
『ニュースの真相』

■書籍情報
『正義から享楽へー映画は近代の幻を暴くー』
著者:宮台真司
発売:12月27日(火)
定価:1800円+税
ISBN-10:4773405023/ISBN-13:978-4773405026
仕様:四六判/392ページ/ソフトカバー
発行:株式会社blueprint
発売:垣内出版

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