なぜ小松菜奈は映画に必要とされるのか? “二段階”を生きる『ぼく明日』『溺れるナイフ』の演技

なぜ小松菜奈は映画に必要とされるのか?

 小松の名を一躍有名にした『渇き。』は、美少女→性悪女=加害者→被害者という変遷を、ある種のフラッシュバックで見せる作品だったが、それは観客のヒロインの捉え方が、物語の道筋に従って変化しているだけの話で、キャラクター自体が豹変しているわけではなかった。

 また教師と女生徒の恋愛を描いた『近キョリ恋愛』のラストでは、現実的な時間の<推移>が描かれ、彼女は大人になっていた。『バクマン。』のヒロインはあるとき、向こう側の世界に行ってしまう。そして、今年公開された『黒崎くんの言いなりになんてならない』では中島健人と千葉雄大のあいだを行き来し、『ヒーローマニア ー生活ー』の女子高生はあるとき眼鏡を外し、『ディストラクション・ベイビーズ』では虐げられていた被害者から、相手を屈服させる加害者になり、『溺れるナイフ』では菅田将暉と重岡大毅のあいだで発芽する。設定だけを記せば、それは女の二重性あるいは二面性ではないか? と思われるところだが、小松が演じると、なぜか<二段階>に見えるという不思議。

 女優、小松菜奈、最大の魅力は女性がたどり着く<推移>のありようを、キャラクターの性格を一切スライドさせずに、そのまま平然と演じきるすがすがしさにある。<推移>は、もっとドラマティックに<メタモルフォーゼ>と表現してもよいかもしれない。彼女は脱皮する性としての女の像を、ごくごく当たり前に体現できる稀有な存在なのである。

■相田冬二
ライター/ノベライザー。雑誌『シネマスクエア』で『相田冬二のシネマリアージュ』を、楽天エンタメナビで『Map of Smap』を連載中。最新ノベライズは『追憶の森』(PARCO出版)。

■公開情報
『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』
全国公開中
監督:三木孝浩 
出演:福士蒼汰、小松菜奈、山田裕貴、清原果耶、東出昌大/大鷹明良、宮崎美子
原作:七月隆文「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」(宝島社)
脚本:吉田智子 
音楽:松谷卓
配給:東宝
(c)2016「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」製作委員会
公式サイト:http://www.bokuasu-movie.com/

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