荻野洋一の『母の残像』評:“2016年路地裏の映画史”ラストを飾る、〈母の死〉から始まる物語

荻野洋一の『母の残像』評

 白眉と言えるのは、作品の終わりの方で、次男がしかたなさそうに同級生のお泊まりパーティ(いわゆる「スリープオーバー」である)に出席して夜を過ごし、気乗りしないまま立ち去ろうとすると、彼が秘かに思いを寄せていた少女が外に坐り込んでいる場面だ。チアガール部所属の彼女は、練習中に腕を骨折してメンバーから外され、気落ちしている。おずおずと彼女を誘って、帰宅する二人の姿が、非常に眩しい。

 歩きながら、静かにしゃべる。この静かな言葉の交わし合いが、本作の原題「Louder Than Bombs」(爆弾よりもうるさい)を逆説的にあらわしているように思える。人の人生において最もその人の耳について離れない音とは、誰か大切な人とのひとときの言葉の交わし合い、肉親との日常的なやり取り、そして喪った人の幽霊が耳元でささやく空気のずれる音——そうした音たちではないか。次男は映画の最初のほうで、父親に尾行されていることに気づくと、母親の眠る墓地に行き、地下の声を聴こうと墓石に耳を当ててみる(それは人違いの墓なのだが)。

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 初々しい高校生カップルが歩きながら、静かにしゃべる。そうこうするうちに、東の空が白んでくる。薄明という名の、光のささやき。これも「Louder Than Bombs」そのものである。そして突然、少女は尿意をもよおし、見知らぬ一軒家の駐車場の陰に隠れる。「見ないで」。少年は言われたとおりに、虚空に目をやる。水しぶきが駐車場の石を叩く滑稽な音が聞こえ(これも「Louder Than Bombs」)、少年が臭気に気づいて足下を見ると、少女の尿が道路までつたってきて、立ち尽くした少年のスニーカーに達する。涙を浮かべる少年。

 少年の涙は、あこがれの少女の用足しに付き合わされた幻滅ゆえのものではない。いや、ひょっとすると少しは現実に引き戻されたかもしれないが、尿が道路をつたって自分の靴を濡らすという滑稽な事実が、生の鈍い輝きそのものとしてあるという実感におののいたからに他ならない。内省的なこの次男と、チアリーダーの活動的な少女がこのあと、どの程度近しい間柄になれるかは心許ない。しかし、この尿の道すじから発せられた微かな水音が、彼にとって「爆弾よりもうるさい」ものとして、生涯にわたり響き続けるにちがいない。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『母の残像』
全国順次公開中
監督:ヨアキム・トリアー
脚本:エスキル・フォクト、ヨアキム・トリアー
出演:ガブリエル・バーン、ジェシー・アイゼンバーグ、イザベル・ユペール、デヴィン・ドルイド、デヴィッド・ストラザーン
配給:ミッドシップ
2015年/ノルウェー・フランス・デンマーク・アメリカ/109分/カラー/ビスタ/原題:LOUDER THAN BOMBS
(c)MOTLYS – MEMENTO FILMS PRODUCTION – NIMBUS FILMS - ARTE FRANCE CINEMA 2015 All Rights Reserved
公式サイト:http://hahanozanzou.com/

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