SMAPは日本映画界に何を残したか? 宇野維正が振り返る「SMAPの映画史」

 草なぎ剛もまた、1999年に初演した舞台『蒲田行進曲』(つかこうへい演出)を大きなきっかけとして、役者としての評価を確立してきたSMAPのメンバーの一人だ。テレビドラマにおけるブレイク・ポイントは2003年の『僕の生きる道』であったが、映画俳優としてもその前後に黒沢清監督(『降霊』。1999年にテレビの2時間ドラマ枠で初放映)、塩田明彦監督(『黄泉がえり』。2003年)といった通好みの監督と仕事をしていることに注目したい。2006年には『日本沈没』が大ヒット。累計興収53億4000万という数字は、テレビドラマの映画化作品を除いたSMAPのメンバーの単独主演映画としては最高の記録。役者としての安定感は、SMAPのメンバー随一と言っていいだろう。

 2007年、そして2015年に2回映画化された『HERO』、それ以前の山田洋次監督の『武士の一分』(2006年)などで映画界においても大きな結果を残してきた木村拓哉だが、テレビドラマ界における長年にわたっての圧倒的なヒットメイカーぶりと比べると、意外にも映画では出演作が少ない。高視聴率が常に至上命令となっていた主演ドラマの一方で、映画においては、(いずれも主演ではなかったが)ウォン・カーウァイ監督の『2046』(2004年)、トラン・アン・ユン監督の『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』(2009年)といった海外資本作品におけるチャレンジと、それによる国際派アクターとしてのブランディングに比重が置かれていた印象が強い。特に90年代後半〜00年代前半の日本では、今よりも明らかにテレビドラマが映画よりも時代の主導権を握っていたわけだが、当時の日本映画界は木村拓哉というスターの規模に見合うだけのヒット・ポテンシャルのある企画を用意できなかったという見方もできる。

 残りの2人、中居正広と香取慎吾に関しては、これまで映画俳優としてあまり恵まれたキャリアを歩んできたとは言えない。中居正広は主演作に『私は貝になりたい』というスマッシュ・ヒット作が、香取慎吾は主演作に『西遊記』という大ヒット作があるにはあるが(逆に言うと、興収20億を超える主演作はそれぞれその1本しかない)、作品の評価、そして役者としての評価、ともに特に主演作においては芳しい結果を残せなかった(あくまでも映画での話であり、テレビドラマの主演作にはそれぞれ秀作もある)。中居正広は近年自らが司会を務めるバラエティ番組の中で「演技の仕事はもうこりごり」といったニュアンスの発言をしているほど。また、香取慎吾は主演作よりも、むしろ三谷幸喜監督作品などにおけるバイプレイヤーとしての方が、明らかに伸び伸びとした演技を披露してきた。今後、稲垣吾郎のように「主演前提ではない作品選び」さえうまくやっていくことができれば、まだまだ映画俳優としての伸びしろはあるはずだ。

 三谷幸喜の名前を出したところでふと思い出すのは、三谷が監督ではなく脚本を手がけ、1999年の正月に3時間の長編ドラマとしてフジテレビ系列で放送された『古畑任三郎 vs SMAP』のことだ。「SMAPの解散危機」と見せかけて、実はメンバー間の強い結束を描いたその作品は、ファンならば今こそもう一度観たい作品の筆頭だろう。本稿の冒頭でSMAPのグループ主演作品が1本しかないことを嘆いたが、この『古畑任三郎』とのコラボ作は、そんな「SMAPの映画史」の空白を埋めてあまりある楽しい作品だ。SMAPならではのカッコよさ、ユーモア、そしてメンバー間の絶妙な関係を、フィクションとして最も優れたかたちで収めていたのがその作品であったということは、90〜00年代が「SMAPの時代」であったのと同時に「テレビドラマの時代」であったことを象徴している。

■宇野維正
音楽・映画ジャーナリスト。「リアルサウンド映画部」主筆。「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「NAVI CARS」ほかで批評/コラム/対談を連載中。著書『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(新潮社)。Twitter

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