荻野洋一の『ロスト・バケーション』評:86分ワンシチュエーションに宿るアメリカ映画の粋

荻野洋一『ロスト・バケーション』評

 本作『ロスト・バケーション』は、前作『ラン・オールナイト』というより、前々作『フライト・ゲーム』に立ち戻って、アメリカ映画の実験が再開されている。旅客機内におけるテロ予告に晒されるワンシチュエーションドラマ、主人公の主観から離れないストーリー・テリング。あえてナイナイ尽くしに追いこんだ上で出てくるものこそ、映画の粋である。一人の美しい水着のブロンド女性、一頭のサメ、ひとつの小さな岩場、ひとつの救命浮標(ぶい)、それらの限定された状況で映画を作る。考えてみれば、これほど贅沢な製作環境はないかもしれない。

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 本作の原題は『ザ・シャローズ(The Shallows)』、つまりザ・シャークではなく、「浅瀬」と名乗っている。岸までたった200メートルの浅瀬なのだから、がんばって泳げば、サメの脅威を振りきって逃げきれるのかもしれない。しびれを切らして、そうした行動に打って出る手もある。しかし、生き抜くための準備を(おそらくは彼女には、あまりにも人の死が身近にあったためであろうが)十全に整えていたヒロインは、そうしない。時間があるときは時間を使って対策を立て、時間がないときは即興的なアイディアによってギリギリのところを攻める。

 この映画はサメの恐怖に晒された一人の女子医大生が、おのれの医学知識と、サーファーとしての海の経験、またアクセサリーやピアスで怪我の縫合手術を即席でしてしまうという若い女の子らしい発想で、サメと対峙し、その危機を全力で切り抜ける物語である。彼女がサメに食われて終わる映画など、いくらなんでもあり得まい。ネタバレも何もないだろうからはっきり書かせていただくけれど、彼女は最後の最後で助かるのである。この1対1の対決の妙を、思う存分味わっていただきたい。余計なものが排除されたシンプルなこの設定で、女とサメの純度のきわめて高い対決のプロセスを、アメリカ映画の粋として再認識すべき時が来ている。

『ロスト・バケーション』予告編

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。(ブログTwitter

■公開情報
『ロスト・バケーション』
7月23日(土)全国ロードショー 
監督:ジャウマ・コレット=セラ(『ラン・オールナイト』『フライト・ゲーム』『アンノウン』) 
脚本:アンソニー・ジャスウィンスキー(『リセット』)
主演:ブレイク・ライブリー(「ゴシップガール」シリーズ『アデライン、100年目の恋』)
配給・宣伝:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公式サイト:http://www.lostvacation.jp/splash/

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