『いつ恋』最終話はなぜ“ファミレスでの会話劇”で幕を閉じた? 脚本家・坂元裕二の意図を読む

 不調が続く月9(フジテレビ月曜9時枠)で、もう一度恋愛ドラマが成立するかという難題からスタートした『いつ恋』だったが、意欲的な挑戦だっただけに、過不足を感じる場面も多かった。何より群像劇として苦しかったのは、練と音以外の人々を掘り下げることができなかったことだろう。これは、全十話という短い話数の中で丁寧な会話劇を続けたが故の副作用だと言える。

 ドラマのバックボーンとなる貧困に苦しむ若者の過酷な労働環境、東京と地方の地域間格差、そして震災以前と以降という形で描かれた日本の変化はどこまで描けたのかというとこれも苦しい。震災以前を描いた第一章はうまく行っていたが、現代に舞台が移った第二章は、どこか焦点がぼやけてしまったように見える。

 社会問題や政治的状況を描くことに対する拒絶反応が強い日本のテレビドラマの中で、果敢に現実を取り込もうとする坂元裕二の試みは、高く評価されてしかるべきだろう。しかし、前作『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)における女性差別の描き方に較べると『いつ恋』は、問題の提示だけで終わってしまったように感じた。これは恋愛ドラマという枠組みから始めたことの限界だったのかもしれない。しかし、最終話のファミレスの場面のような、なんでもない会話を描いた場面は突出していた。

 以前も書いたことだが、『いつ恋』はあらすじだけを追うと激動のラブストーリーに見える。しかし、実際に画面で起こっていることは実に淡々としており、一番の見せ場がファミレスでの会話だという、実に不思議なドラマだ。それは、練や音が、恋愛ドラマや時代背景を描くために用意された駒ではなく、私たちと同じ、ささやかな日常を生きる普通の人間として丁寧に描写されていたからだろう。そこに最終話で描かれたような、小さな奇跡が起こることでテレビドラマでしか描けない物語の跳躍が生まれる。その前提が序盤で共有できたからこそ、自分のことのように練や音のドラマに没入することができたのだ。

 だから、ドラマが終わっても、音や練の日常はちゃんと続いていく。ファミレスで話したように、練はこれからも音に会いにいくのだろうと、想像することができる。ドラマの最後、トラックに乗った音は練に家に帰る道筋を教える。
「近道?」
「ううん。遠回り」 
少しでも練といっしょに居たい音の気持ちが伝わるチャーミングな幕切れだ。おそらく『いつ恋』自体が、決められた結末に向かって突き進むドラマではなく、「遠回り」という恋のもどかしさを楽しむドラマだったのだろう。

参考1:『いつ恋』第一話で“男女の機微”はどう描かれた? 脚本家・坂元裕二の作家性に迫る
参考2:『いつ恋』第二話レビュー “街の風景”と“若者の現実”が描かれた意図は何か
参考3:『いつ恋』第三話レビュー 先が予想できない“三角関係”をどう描いたか?
参考4:東京はもう“夢のある街”じゃない? 『いつ恋』登場人物たちのリアリティ
参考5:『いつ恋』音はなぜドラマ名を口に?  脚本家・坂元裕二が描く「リアリズム」と「ドラマの嘘」
参考6:『いつ恋』が浮き彫りにする、男たちの弱さーー5年の月日は練たちをどう変えた?
参考7:『いつ恋』第七話で“花”と“レシート”が意味したものは? 映像の向こう側を読み解く
参考8:『いつ恋』いよいよ佳境へーー第八話で描かれた練、音、朝陽の濃密な三角関係
参考9:『いつ恋』最終回はどこに向かう? 坂元裕二が第九話で描ききれなかった物語

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■ドラマ情報
『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
出演者:有村架純、高良健吾、高畑充希、西島隆弘、森川葵、坂口健太郎
脚本:坂元裕二
プロデュース:村瀬健
演出:並木道子
制作:フジテレビドラマ制作センター
公式サイト:https://www.fujitv.co.jp/itsu_koi/

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