想田和弘監督『牡蠣工場』が切り取る日本の闇ーー働く現場を“観察”して見えるもの

『牡蠣工場』が切り取る日本の闇

 これを見た瞬間、僕らは得も言われない複雑な心境に陥ることになる。現地の人たちに悪気はない。中国から労働者を受け入れるには大金がかかるにもかかわらず、長続きせず、すぐに帰国してしまう者もいて、よくない印象を抱いている現地の人もいるのは確か。でも、それでも受け入れざるえない現状に置いて現地の人は中国から来る人々に期待を寄せている。ただ、意識下では“チャイナ”となってしまう。この文字を見た瞬間、僕らはとてつもない“日本”と“中国”の隔たりと溝を目の当たりにする。日本人の中国人への意識とでもいおうか。言い逃れできない偏見や偏向が作品全体からたちのぼる。そして、それは“爆買い”といったどこか蔑んだ言葉が普通にマスメディアで使われてしまう日本の現状にもつながっている。そのことを意識した瞬間、胸のざわめきが止まらなくなり、自分自身の倫理観を自問自答することになるのだ。

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 もうひとつ本作が突きつけるのは、世に言う“グローバル化”“グローバル社会”って何ぞやということだ。世界のあらゆる情報が入り、世界で活躍する都会の人間が国際人のような風潮があるが、そうではない。本作を見ていると、そう思えてならない。真の意味でグローバル社会とは何なのかが本作からはおぼろげながら見えてくる。少なくともグローバル化の荒波にいまもっとももまれているのは、牛窓の人々であり、体感しているのもまた彼らであるのではないだろうか? 『牡蠣工場』にはそう思えるシーンが随所に収められている。そして、思いをはせずにいられなくなる。実は、こういう地方都市が牛窓だけではなく、日本各所にあるのではないだろうか?と。

 いずれにしても『牡蠣工場』は、できれば見たくないかもしれないけど直視しなければならない、むきだしの“日本”が映し出されている。

(文=水上賢治)

■公開情報
『牡蠣工場』
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
公式サイト:http://kaki-kouba.com/
(c)Laboratory X, Inc.

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