『爆裂都市』から『ソレダケ』へーー石井岳龍監督が再びロック映画に向かった理由

石井岳龍監督がロック映画を語る

「暴力表現はすごく繊細なものだと思う」

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『ソレダケ/that's it』より

ーーその後、ああいう激しいロック映画を長編の劇映画としては長いこと作ってこなかった。33年ぶりに作ったのが『ソレダケ』です。制作過程や作品の世界観などについては、公開時の本サイトのインタビューでもお話いただいてますが(参考:石井岳龍監督が語るbloodthirsty butchersとロック、そして映画「シリアスな現実と娯楽を繋ぎたい」)、『爆裂都市』と『ソレダケ』、同じようにロックを重要なモチーフとしている映画ですが、表現の仕方等で一番異なっているのはなんだとお考えですか。

石井:うーん…常に映画に映るのは俳優さんだったり時代の背景だったりするんです。…時代とそこに生きている人間が映るんですね。だから…明らかに33年前と今は違うんで。『爆裂都市』を見ていると、ああこれは当時の状況だと思います。そこに参加してくれてる人たち、映ってる人たち、映ってるもの、それらすべてが具体的な映画を作るんで。変わったとしたら、それが変わったということでしょうね。

ーー監督ご自身はいかがですか。

石井:年取ったということじゃないですかね。自分では感じてませんけど、明らかに年をとってますから、表現方法は変わってくるのかなと思いますけどね。

ーーそれは具体的にはどういう…

石井:うーん、人間に興味があるってことかな。人間の感情とかに、より興味が出てきた。それはありますね。あとは…いいことかわからないけど、明らかにうまくなってますね(笑)。経験は積んで。ただまあ、こっちも必死だったんで、この33年間で何が変わったかとか、振り返る余裕はまったくないですね。常に次に何を作るか考えて、いつも具体的に動いてるし、たくさんの脚本を書いているし。激しい映画も『ソレダケ』が久しぶりですけど、企画としては常にあるんです。でもアクション映画を作れる状況にはなかなかならない。主に予算面の理由ですね。『爆裂都市』でさんざんな目にあってるんで、次に同じことはできない。ちゃんとやりたい、アクション映画をちゃんと作りたいって思いはずっとあった。今回のもものすごく無理をしてるんですけど、それはブッチャーズの吉村秀樹君と仲良くなったという人間的な理由が大きな力になってますね。それがやるきっかけだったし、やる意義があるから、どんな条件であれやらざるをえない。なんとしても形にして、いいものにするんだって思いがあったってことですね。

ーー『ソレダケ』と『爆裂都市』との比較でいうと、女性の扱いの違いがあります。『爆裂都市』で目立つ女性といえば、大林真由美が演じた「ブルー」という少女の娼婦ぐらい。

石井:あれも男か女かわからないようにしてあるんですけどね。

ーーところが『ソレダケ』では、ヒロインの南無阿弥(水野絵梨奈)の役割がすごく大きくなっている。

石井:そうですね。さすがにそれは…私も大人になったので(笑)。女性に対する興味とか、男がいて女がいるっていう。当たり前のことですけど、今はそこをきっちり描きたい、という思いはすごく強いですね。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』も、シャーリーズ・セロンが実質主役じゃないですか。女性の役割が増しているというか、時代的に女性が強くなってますよね。

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『ソレダケ/that's it』より

ーー南無阿弥は主人公の大黒砂真男(染谷将太)をしきりに日常に引き戻そうとする。でもある地点を越えると立場が入れ替わって、逆に男の尻を叩いて煽り立て、戦いを促すという。あの変わり方が面白いと思いましたし、女性の強さを感じました。

石井:ああ、好きですね(笑)。改めてそう言われると…無意識にそうなってたのかもしれないけど、そう指摘していただて、「いいな」と思いました(笑)。

ーーアクション映画は常に作りたい気持ちがあるというお話ですが、『水の中の八月』(1995)の製作当時のインタビューで、「自分は本当はヴァイオレンスとか好きじゃない。でも自分の中にそういう衝動が確かにあるので、描かざるとえないんだ」ということをおっしゃってました。そのお気持ちは昔からずっと変わらないわけですか。

石井:そうですね。どっちかというといじめられっ子だと思うし、現実の暴力に対しては非常に憎悪があります。ただ自分がすごく孤立した時とか、異常な状態になったときにそういう狂気や本能的衝動があるのは事実だと思うんで、そういうことはきれい事じゃ済まないですよね。だから…暴力を描きたいわけじゃないですけど、でも人間を見つめるときに、描かざるをえない。あと…映画と目に見える動きっていうのは非常に結び付きやすいんです。暴力…というよりアクションは、映画と非常に相性がいいし、魅力的でもある。だから暴力表現はすごく気を遣ってます。すごく繊細なものだと思うんです。一種のポエムというか。サム・ペキンパーとかサミュエル・フラ-の暴力表現とかすごく好きですね。二人の暴力表現には人間の悲しみがある。

ーー石井監督の作品でも、受験勉強のイライラが沸点に達して暴力に至るとか(『高校大パニック』1976年)、バイクに乗る自由を阻害されて暴力衝動が高まるとか(『狂い咲きサンダーロード』)、『ソレダケ』もそうですが、暴力に至る理由や感情の動きがちゃんとある。サム・ペキンパーもそうですね。でもそうじゃない暴力描写をする若い人も増えてる気がします。

石井:私は苦手です(笑)。笑えないスプラッターとかは観れない。暴力そのものだけを見せるみたいなのは。暴力は悲しいものだと思うんです。する方もされる方も悲しい。ペキンパーの名言で「戦う者はみな敗者である」ていう言葉があるんですが、そういう自覚のない暴力描写は苦痛ですね。今後もたぶん、観る人によっては滅茶苦茶ヴァイオレンスじゃないかって映画も私は撮ると思うんですけど…暴力描写そのもののを即物的快楽にしないように気をつけなきゃなって思います(笑)。

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