ウエストランド河本、実は面白い? 井口の毒舌に隠れた「共感可能性の高いクズ芸人」というポテンシャル

ウエストランド河本、実は面白い?

 お笑いコンビ・ウエストランド(井口浩之、河本太)が12月18日、漫才日本一を争う『M-1グランプリ2022』で悲願の優勝を果たした。

 井口の代名詞になっている“愚痴”=悪口・毒舌をフィーチャーした漫才は、昨今のテレビであまりお目にかかれない尖った印象を残し、視聴者からも審査員からも好評を受けている。一方、漫才の構成上、常識人ポジションで大人しくボケを捌いていった河本は、優勝に感極まりながら「相方の稼働ばかり増えて暇だった」とこぼし、井口は「こんなに台詞が少なくてネタもトばしたやつが号泣しているの腹立ちますね」と安定の“無能イジリ”を披露していた。

 M-1優勝バブルもあり、特に年末年始にかけて、メディアでウエストランドの姿を見る機会が激増しそうだ。そのなかで河本が“じゃない方芸人”化していく路線も見えてくるが、実は「共感可能性の高いクズ」という、意外と珍しいキャラクターとしてブレイクするポテンシャルを持っている。

 代官山ブックスより2021年に刊行された河本のエッセイ集『朽木糞牆(キュウボクフンショウ)【売れてない芸人(金の卵)シリーズ】』を読むと、「※この物語はフィクションです」との注記こそあるが、冒頭から正直な言葉が並ぶ。

 売れなくても必死でしがみついてきた……のではなく、「真面目に働くのが怖くてやめられなかった」から、ダラダラと芸人を続けてきた。才能がないことを嫌というほど自覚しているから、「ヤバいやつ」になろうと考えたと河本は、エピソード作りだ、芸の肥やしだと金もないのに遊び回り、結婚しても子どもが産まれても変わらない「底抜けのクソ野郎」になったと述懐している。

 面白いのは、河本はクズエピソードを美談にも、笑い話にもしておらず、「人としても芸人としても終わっている」という自己評価が、あとがきに至るまで貫徹していることだ。むしろ、自己正当化できそうな部分を自ら丁寧に潰しており、そこにツッコミとしての優秀さを感じてしまう。ブログのように短文で綴られていくエピソードは、多くの自虐を含みながらウエットではなく、どこか諦めも感じるフラットさがあり、「そういう純文学作品を読んでいる」と思えなくもない読み心地だ。ゲラゲラ笑えるところもないが、死ぬほど悲しくなるところもない。軽蔑されるべきこともたくさん書いてあるのに、読み終えるとなぜか河本が好きになっている。

 「朽木糞牆」とは「役立たず」「無用なもの」を指す言葉で、「手の施しようがない」というニュアンスが含まれている。河本は徹底的に冷静に自分を眺め、執拗に短所を掘り下げながら、本質は変わらないと諦めているようだ。驚くほど取り繕わない文章を読んで、共感やある種の“許し”を感じる読者は多いだろう。

 河本は酒癖の悪さで知られており、嘘か誠か、事務所からTwitterの投稿を許されていないという(キャンプ用のアカウントのみ存在)。そのため彼のおかしな人となりはファン以外にはあまり知られておらず、だからこそブレイクの可能性があるのではと期待してしまう。「M-1優勝」というこれ以上ない上振れを経験しても、河本は自分を誇ろうとはしないだろう。その体験をどんな言葉で綴るのか、いつかエッセイの続きも読んでみたい。

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