人気ミステリ作家・貫井徳郎デビュー30年記念座談会 評論家とともに振り返る功績と真髄

 


 人気ミステリ作家・貫井徳郎氏のデビュー30年と実業之日本社の創業125年を記念して、今年の6月より同社の「貫井徳郎文庫作品」連続刊行プロジェクトが開始されている。

 豪華クリエイター陣による新たなビジュアルで、本格ミステリの大傑作『プリズム』(6月)ラストに戦慄する大作『微笑む人』(7月)、驚愕と感動の巨編『追憶のかけら 現代語版』(8月)が刊行。そして、10月には長編ミステリ『罪と祈り』 が初文庫化と、読書家から大きな話題となっている。

 『罪と祈り』 は東京の下町・浅草を舞台に、元警察官の殺人事件、そして史上空前の誘拐事件の真相を探る物語。事の発端は、警察官を定年退職した辰司が隅田川で遺体として発見されたこと。 真面目で正義感あふれる男はなぜ殺されたのか?  息子の亮輔と幼馴染みの賢剛が死の謎を追うと、そこには賢剛の父・智士の自殺、そしてバブル期の未解決誘拐事件とつながりがあるように見えたーー。男たちの絆と葛藤が描かれた、スリルと感動に満ちた傑作長編となっている。

 リアルサウンドブックでは、貫井氏のデビュー30年、そして『罪と祈り』 の初文庫化を記念して、貫井氏を招いた特別座談会を実施した。座談会のお相手は、ミステリ評論家の千街晶之氏と若林踏氏。初期作から近作までを網羅的に読み解くお二人とともに、多くの読者を魅了してやまない貫井作品の真髄に迫りたい。

正義と悪の境界線が揺らぐ作品

ーー貫井さんはデビュー30周年を迎えられて、現在の心境を教えてください。

貫井:あっという間の気がしますし、長かった気もします。最初の10年間はまったく売れなくて、10年目に突然書店員さんのおかげで火がついて売れ出したんです。

 それから数年経って、賞の候補にしていただきました。『愚行録』(2006年)、『乱反射』(2009年)、『微笑む人』(2012年)などの頃は、スポット的に売れたりしましたが、ただ20年から30年の間は、けっこう無駄に過ごしてしまった。パッとせず下り坂でしたね。すみません、いきなり景気の悪い話をしてしまって(笑)。

デビュー作『慟哭』の衝撃

ーー(笑)決してそんなことはないと思います。千街さんは貫井さんの作家としての活動を長く見られてきて、どのような印象をお持ちですか。

千街:私もはたから見ていて、全然そういう印象はないです(笑)。最初『慟哭』(1993年)でデビューされ、その文庫版のヒットでバッと波がきて、その後は色々と作風を模索してきました。シリアスなものからコミカルなものまで幅広くお書きになりながら、ずっと一本筋は通っている。そのなかでコンスタントに作品を出されていているのみならず、賞を獲ったり、映画の原作になったりもしていて、とても順調な作家人生を送っておられるように見えます。

若林:私も同感です。僕は今36歳なのですが、貫井さんがデビューされた時はまだ6歳でした。

貫井:嫌になってしまいますね(笑)。

若林:僕は高校生の時に読んだ『慟哭』が初めての貫井作品でした。あの作品の大仕掛けが印象深かったんです。特に30代以下のミステリ好きの読者にとって、大きな影響があると思います。ミステリの嗜好を決定づけられた人がたくさんいると思う。『慟哭』が書店で大きく展開されていたことも記憶に残っています。

貫井:ありがとうございます。

貫井作品の3つの軸とは

千街:私は貫井作品には3つの軸があると思っています。1つは叙述トリックを含むどんでん返しがあり、一方で2つめとして、人間の罪と罰といったものへの関心がある。さらに途中からは、普通のミステリと違って、中心となるべき要素の不在がある作品が増えています。最後まで読んでもパズルのピースが1つだけ空白のまま残るような感じですね。そうした3つの軸を中心に執筆しているという印象があります。

貫井:そうですね。意識的にしろ無意識にしろ、そういう傾向は確かにあると思います。

若林:貫井さんは、話の筋をあらかじめしっかりと立てて書きますか? あるいは書いている途中に変わるのでしょうか。

事前に考えていなかった『罪と祈り』の誘拐トリック

貫井:僕は事前に考えるのが苦手なんですよね。ただ着地点がはっきりと違うというのは、『微笑む人』くらいでしょうか。書いている途中で気が変わったので、事前の構想とは全然違いました。書き始める前にそれがつまらないと気づかなかったんですよ。

 基本的には原稿用紙で50枚から100枚分くらいしかストーリーを考えられなくて。とりあえず連載をスタートして、50枚を書いたらさらに50枚考えるという感じですね。

若林:走らせながらなんですね。

貫井:僕は一人リレー小説だと思っていて。先月の自分がここまで書いたから、今月の自分はどうすればいいかと。『罪と祈り』も誘拐事件が起きるのですが、事前には誘拐のトリックは考えていなかったんです。

若林:え、そうだったんですか。

貫井:僕、けっこう誘拐は得意なので(笑)。何かいいネタを思いつくだろうと思って。

若林:貫井さんは誘拐ものを多く書かれていますが、影響を受けた作家さんはいますか?

貫井:岡嶋二人さんです。「人さらいの岡嶋」と異名をとっていたくらい、誘拐ものが得意なんですね。僕がデビューを考えた頃は、まだ新本格ムーブメントが始まる前だったので、謎解き小説ではなかなかデビューがしにくかった。そこでお手本にしたのが、岡嶋二人さんと東野圭吾さんでした。特に岡嶋さんの誘拐ものは、トリックを仕込みやすい。それで僕も好んで書くようになりました。

若林:確かに誘拐ものは、謎解きとサスペンスを両立させられるところが魅力ですね。謎解きとしてのアイデアを豊富に盛り込めるし、身代金の受け渡し時の攻防など、活劇の要素を加えることも出来ます。

『デビルマン』と『必殺シリーズ』からの影響

千街:他にご自身で得意だと思うモチーフはありますか?

貫井:白黒をはっきりさせない、善悪の境目を疑わせるテーマ設定は得意というか、好んでいます。決めつけが嫌いなんです。一面的に書くのではなく「こんな見方もあるんですよ」と多面的な見方を提示する話が好きですね。

 それは千街さんが『プリズム』の文庫解説で指摘してくださったように、同作品が初めてだったと思います。自分で書いていて面白かったので、その後も手を替え品を替えやっているのかもしれません。

若林:貫井さんの作品には、正義と悪の境界線を考えさせられるものが多いですね。『症候群シリーズ』や今回の『罪と祈り』もそうでした。犯罪であり悪であるけれど、その人なりの正義がある。そういう意味で貫井さんが刺激を受けた作品があれば教えていただきたいです。

貫井:小学生の時の『デビルマン』(アニメ・漫画)です。悪魔が悪で人間が善だと思っていたら、途中からその価値観が崩れてしまう。その後は、平井和正さんのSF小説シリーズ『死霊狩り(ゾンビー・ハンター)』。地球外生命体がいつの間にか人間に寄生している話です。寄生されると見た目は人間なんだけど、異星人に乗っ取られている。主人公のゾンビー・ハンターはそれを見つけて駆逐するんですけど、最後に大どんでん返しがある。そういう価値観をひっくり返す系の大どんでん返しものを、子どもの頃にいくつも読んだものですから。

千街:作品のタイトルを言われると、どのような影響だったかがすごくよくわかります。

貫井:あとは『必殺シリーズ』(時代劇)です。主人公たちは悪い奴しか殺さないとは言っても、人殺しをするんだから、善ではない。最後は因果応報でものすごくひどい運命が待っていたりする。そういうのが、本当に好きになってしまいました。

若林:『必殺シリーズ』だったんですか! 中村主水の「俺たちはワルよ、ワルで無頼よ」という台詞を思い出します。自分であえて悪と言っておきながら、やっていることは実は正義の一環でもある。貫井さんの作品全般にも言えることですね。

貫井:お若いのによくご存じですね(笑)。

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