井上雄彦監督作品『THE FIRST SLAM DUNK』から考える 「漫画家が映画を撮ること」と、その可能性

『スラダン』から考える「漫画家が映画を撮ること」

 2022年12月3日(土)、待望のアニメ映画『THE FIRST SLAM DUNK』が公開される。物語は桜木花道ではなく宮城リョータの視点で進むのか、とか、テレビアニメ版の声優陣を起用しなかったのはなぜか、とか、ここに来てさまざまな“憶測”がファンの間で飛び交っているが、とりわけ注目すべきは、やはり原作者の井上雄彦が脚本と監督を務めている点ではないだろうか。

 そこで本稿では、「漫画家が映画を撮ること」について、あらためて考えてみたいと思う。

“漫画の神様”たちにとって映画は憧れだった

 とはいえ、だ。実は、「漫画家にして映画監督」という人物はそれほど多くはない。

 たとえば、“漫画の神様”――手塚治虫。手塚は、膨大な漫画作品を執筆するかたわら、『ジャンピング』のような実験作から、『鉄腕アトム』(第1作)や『リボンの騎士』などのテレビシリーズ、大人向けアニメ『クレオパトラ』、そして、ライフワークともいえる『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』に至るまで、数多くのアニメーション作品を監督した(「総監督」という立場での作品も含む)。

 また、同じ巨匠系では、珍しいところでは、石ノ森章太郎が『フィンガー5の大冒険』を監督(その他、『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』では総監督を務めている)。その石ノ森のアシスタントを務めていた永井豪も、『空想科学任侠伝 極道忍者ドス竜』などでメガホンを取った。

 さらには、松本零士が、『宇宙戦艦ヤマト』のテレビシリーズ第1作目で、メカニックデザインなどの他、「監督」としてもクレジットされている。

 なお、このあたりの世代の漫画家たちにとって、(アニメーション、実写を問わず)「映画」は“憧れ”の象徴であり、実際、戦後の日本の漫画表現は、映画のモンタージュ理論(エイゼンシュテイン監督らが提唱した、視点の異なるカットを組み合わせる編集のテクニック)を導入することで、大きく進化していったという歴史もある。そう、誤解を恐れずにいわせていただければ、いまの日本のストーリー漫画の多くは、そのまま映画の「絵コンテ」としても通用するような作りになっているのだ(その意味では、ほとんどの漫画家は、知らず知らずのうちに映画監督と近い作業をしているともいえよう)。

監督・大友克洋の衝撃

 本格的な実写映画の監督として辣腕を振るった漫画家もいる。中でも『天使のはらわた』や『GONIN』シリーズの石井隆、『BE-BOP-HIGHSCHOOL』のきうちかずひろの作品は評価が高い。

 その一方で、漫画家からアニメーション映画の監督に見事な“転身”を果たした人物もいる。今敏だ。短編漫画「カーヴ」でちばてつや賞(佳作)を受賞したのち、大友克洋のアシスタントを務めたこともある今は、地道なアニメーター活動を続けた末、『PERFECT BLUE』、『千年女優』などを監督し、ブレイク。残念ながら2010年に46歳という若さでこの世を去ったが、遺された作品群の輝きが失われることはないだろう。

 そして、(いま名前が上がった)大友克洋の存在も忘れてはなるまい。周知のとおり、彼が原作・脚本・監督を務めた1988年公開のアニメ映画『AKIRA』は、全世界に衝撃を与えた(脚本は橋本以蔵との共作。また、大友はその後も『スチームボーイ』、実写映画『蟲師』などを監督した)。

 それ以外では、宮崎駿と安彦良和が、自らの漫画作品を原作とするアニメ映画を監督しているが(前者は『風の谷のナウシカ』、後者は『アリオン』など)、この2人については、漫画家である前に優れたアニメーターであるため、本稿での比較の対象にはならないかもしれない(が、一応その名は挙げておく)。

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