心が苦しい時に読みたい「夜の航海」をめぐる本 臨床心理士・東畑開人が語る、現代の心とつながり

臨床心理士・東畑開人インタビュー

 臨床心理士として現代の人々と向き合い続けてきた東畑開人氏が、新刊『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(新潮社)を上梓した。 

 大佛次郎論壇賞や紀伊國屋じんぶん大賞2020を受賞した『居るのはつらいよ』(医学書院、2019年)、無数の小さなエピソードとともに「心とは何か?」という問いに向き合った『心はどこへ消えた?』(文藝春秋、2021年)に続く本作は、読者との「夜の航海」を通じて描く「読むセラピー」。「夜の航海」とは深層心理学者のユングが提唱した、未来の展望が消えて迷子になってしまう時期を表した言葉だ。 

 「夜の航海」が訪れた時、人は心について考えることになると東畑氏は話す。自己啓発本とカウンセリング、複雑な心を複雑なまま捉えるための「補助線」、個人化が進む社会で人とつながることなど、じっくりと話を聞いた。(小沼理) 

自己啓発本が効力を失う時

――以前から自己啓発本に関心を寄せていたことが、本書を書くきっかけとなったそうですね。 

東畑:『居るのはつらいよ』(2019年)という本では沖縄のデイケア施設のことを書きました。その後、僕は東京へ移り、心理士としてカウンセリングルームで仕事をしてきました。デイケア施設で提供されるのがコミュニティだとしたら、カウンセリングでは一対一の人間関係の中で自分について考える時間が持たれます。それは孤独な自分、つまり他者からはわかってもらえない自分について考える時間です。そういうことを重ねる中で、「孤独な人が集まる都市で、人間はいかに生きていくのだろうか」と考えていました。 

 この問いに一つの答えを与えているのが自己啓発本だと思います。僕は結構自己啓発本を読むんですよ。ビジネス書とか最高ですね。複雑すぎる世の中をシンプルなものに縮減することで、元気を出してくれる。力強い答えをくれるから、「俺はやれるぞ」って、アガってくるんです。 

 実際、それで苦しい時期を乗り切れることもとても多い。でも、自己啓発本が示しているアッパー系の生き方とは、別の生き方もあるのではないかと思うんですね。実際、カウンセリングはダウナー系の営みだと思うんです。ならば、どう違うのか。臨床心理学が日々クライエントとどのように物事を考えようとしているのかをこの本で書いてみようとしたんです。

――「夜の航海」をコンセプトに、東畑さんと読者が一緒に小舟で夜の海をさまようストーリーになっています。 

東畑:カウンセリングルームでクライエントと話をしていて感じるのが、「方向喪失」の感覚です。自分がどこに向かっているかわからなくなった時に、人は心について考えはじめるんだと思います。それを表現している言葉が「夜の航海」でした。 

 「中堅」あるいは「中年」もキーワードになっています。中堅は若手のように夢や希望があるわけでもなく、かといってベテランのように安定したポジションもない。体力は落ちてくるけど人生の問題がたくさん降りかかってくる、そんなタフな時期です。 

 ユングという心理学者は、カウンセリングというものが人生の正午より後、つまり後半戦の課題を扱うものだと言っていました。実際には色々なクライエントがいるのですが、確かに自分をしっかり振り返ることができるのは、原理的に中盤以降ですよね。ある程度自分が固まったがゆえに、同じことが繰り返されている。一体何が繰り返されてるんだと、問題と向き合うことが求められるのが中堅です。 

 それ以前は、何者かになろうと人生を登っていくサバイブの時期です。それは自分を作っていく時期です。でも、中堅になるとこれ以上登れなかったり、登ってもしょうがないことに気付いたりします。するとこれまで信じてきた価値が飽和して、一体何が大切なのかわからなくなる。その時、自分はいかに生きるのかと考える必要が生まれます。 

――だとすると、中堅は自己啓発本が効かなくなってくる時期とも言えるのでしょうか。 

東畑:中堅には二つの選択肢がある。人生の前半戦を延長するために、青年期を続けていくという生き方がその一つです。たとえば、「もう一度学び直していく」という姿勢で、青年期のあとに新しい別の青年期をはじめることもできる。ビジネス書系の自己啓発本は基本的にこの発想なのではないかと思いますし、それは現代的には間違ってはいません。僕らはずっと成長し続けろと要請されていますから。ただ、ずっと青年期を繰り返すのって、その都度孤独になることですよね。誰かときちんとつながり続けるためには、青年期の先へ行かなくてはならない。そのとき、いわゆるビジネス書とは違った価値観が必要なんじゃないかと考えています。 

複雑な心を複雑なまま考えるための「補助線」 

――本では、複雑な自分について考えるための「心の補助線」を7つ紹介しています。補助線は「馬とジョッキー」「シェアとナイショ」など、イメージしやすい言葉で表現されていて、複雑なものを複雑なままわかりやすく考えられるようになっていました。 

東畑:「馬とジョッキー」は普段のカウンセリングでもよく使っていました。欲求や衝動に従って心を突き動かすのが馬、現実を把握してリスクを回避するべく舵取りを行うのがジョッキー。要するに「わかっちゃいるけどやめられない」という典型的な心の問題を考えるための補助線です。わかっているジョッキーがやめられない馬をコントロールして、成功したり失敗したりする。補助線を引くことで心の状態を理解しやすくなります。 

 「複雑なものを複雑なままに」と言われても、修行のようで難しいですよね。本当に複雑なことを複雑なまま考えるためには、要素に分けて、それらが対話しているようなイメージで捉えるのが必要だと思います。「こういう俺もいれば、矛盾するああいう俺もいる」みたいに。 

 実際、カウンセリングってそういう営みなんです。処方箋を出すように具体的なアドバイスをすることもあるけれど、基本的には何かを一緒に考えるために補助線を提供している。だから普段やっているのと同じことをこの本でも書いていますね。 

――「シェアとナイショ」の補助線では社会学の知見を取り入れています。心理学と社会学をミックスすることは、東畑さんなりの挑戦だったとうかがいました。 

東畑:「シェアとナイショ」は社会学の言葉でいう「共同性と親密性」ですね。同じものをみんなで共有する関係をシェア、他人に深く関わり、時には傷つけ合うこともある関係をナイショとしています。 

 20~30年前、臨床心理学者の河合隼雄が「物は豊かになったが、心はどうか」と問いかけた頃、心理学は現代社会論と共に語られていました。その後、次第に心理学は専門化して、単体で語られるようになっていったのですが、僕はそれでは心理学が真空パックされたものになってしまう気がしていて。「社会がこうだからあなたはこういう問題に直面している」という前提の上で、心理学の話をしたいと思いました。今では素人くさく見える語り方かもしれないけど、そのほうが切実な問題を提示できるだろうと。

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