第165回 直木賞は大激戦? ノミネート作品を文芸評論家・細谷正充が徹底解説

『星落ちて、なお』澤田瞳子(文藝春秋)

 今回で5回目の候補となる澤田瞳子は、直木賞常連組といっていいだろう。それだけの実力の持ち主である。本書を読んでいただければ、分かってもらえるはずだ。

 主人公は、河鍋暁斎の娘のとよ(暁翠)。周知の事実だが暁斎は、今でも人気の高い絵師である。その暁斎が死んだ明治22年から始まり、ポンポンと時代を飛ばしながら、とよと周囲の人々の人生を描いていく。巨大な存在だった父に比べ、自分の才能の乏しさを嘆くとよ。父の才能をもっとも受け継いだ兄の周三郎(暁雲)にも、複雑な思いを抱いている。それでも彼女は絵と家族にこだわり、生きていくのだった。

 とよが絵師であることにこだわるのは、それが父との繋がりだからである。絵師の苦悩に家族の苦悩が重なり、彼女は暁斎の影から逃げられない。でも、とよの人生は意味のないものだったのか。そんなことはない。作者はある人物の口を通じて、彼女の人生にひとつの光を与えるのだ。それは、いろいろなものが見えすぎて生きづらさを感じる、現代の日本人に与える光でもある。だから本書は読者の胸を強く打つのだ。

『高瀬庄左衛門御留書』砂原浩太朗(講談社)

 架空の藩を舞台にした武家物といえば、藤沢周平の〝海坂藩〟や、葉室麟の〝羽根藩〟が、すぐに想起される。本書はそのラインを狙っているのだろう。歴史小説でデビューした作者だが、この方向転換は成功したようだ。とにかく主人公の高瀬庄左衛門が魅力的。50を過ぎたくらいの、神山藩の下級藩士。すでに妻は亡く、息子の啓一郎と共に、郡方の本役をしている。だが郷廻りの最中に啓一郎が事故死した。息子の妻を実家に帰し、ひとり暮らしを始め、我流で絵を描くことをささやかな楽しみにする庄左衛門。だが彼は、しだいに藩の政争に巻き込まれていく。

 何事もなければ主人公は、色あせた日々を死ぬまで送るだけだった。だが、思いもかけない成り行きから、さまざまな人とかかわるようになる。そして理解するのだ。誰もが悲しみや鬱屈を抱えて生きているのだと。そのことに気づき、あらためて自分の心を見つめ直す庄左衛門に、いぶし銀の魅力あり。さらに、単純な善悪で人や物事を判断しないことや、窮地に陥っても人としての筋を通す胆力を持っていることも露わになっていく。老境に差しかかった男の気骨を活写した秀作なのだ。

 以上5作、どれが直木賞を受賞しても可笑しくない名作揃いである。だから結果が明らかになっても、受賞作だけでなく、他の候補作も読んでほしい。知らない作家の手による、新たな世界を知る。それもまた読書の喜びなのだから。

■細谷正充
 1963年、埼玉県生まれ。文芸評論家。歴史時代小説、ミステリーなどのエンターテインメント作品を中心に、書評、解説を数多く執筆している。アンソロジーの編者としての著書も多い。主な編著書に『歴史・時代小説の快楽 読まなきゃ死ねない全100作ガイド』『井伊の赤備え 徳川四天王筆頭史譚』『名刀伝』『名刀伝(二)』『名城伝』などがある。

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