平野啓一郎が語る、疲弊した社会に必要なこと 「知的になることで感情的な苦しさから解放されることはあるはず」

平野啓一郎が語る、疲弊した社会の行末

「がんばれ」と言われることに辟易してるんじゃないか

——母親の友達で、元セックスワーカーの三好も、この物語の大きなポイントだと思います。彼女は現実を受け入れ、「格差があってもしょうがない」「セレブの世界はそのままあってほしい」という考え方をしてますが、こういうタイプの人は増えてますよね。

平野:そうでしょうね。小説のなかでも、彼女の思想が大きく変化することはなく、社会の在り方を内面化しているところがある。実際、そういう傾向の人は多いと思います。たとえばアメリカのトランプ支持者が、何の利益も受けていないにも関わらず、熱狂的に彼を支持していたり。日本の場合だと、前政権から続く新自由的主義的な改革のために厳しく追い詰められているのにも関わらず、なぜか政府を支持する若者だとか。「この現象は何だろう?」とずっと不思議だったんですよ。政治に対する無知もあるだろうし、「よくわからないし、今のままでいい」だとか、あとは「一生懸命やってるんだから批判はよくない」というレベルまで、いろいろな理由があるんでしょうけどね。格差は良くないと思っていても、「ドラスティックに改革して、全部がダメになるんだったら、今の方がマシ」だとか。

——「上手くいってる人、経済的に成功している人もいるんだから、このままでいい」という考え方もありますね。

平野:そうですね。「もしかしたら自分もそこにアクセスできるかもしれない」と期待している人もいるし、できなくても、セレブの人たちのインスタを見て、彼らの生活をバーチャルでシェアすることで満たされたり。僕自身は「それではいけないのでは」と思いますけど、そういうことを感じながら生きている三好のような人間を責めることもできないんですよね。

——確かに『本心』という小説において平野さんは、どの登場人物も肯定しているように感じました。老作家の藤原は、「小説家として優しくなるべきだと、本心から思ったんです」と語りますが、これは平野さん自身の本心でもあるのでしょうか?

平野:その質問はよくいただくんですが、藤原という作家は、森鴎外のイメージを重ねているところがあるんです。鴎外は子供の頃に神童と呼ばれ、海外留学も経験し、若い頃は文壇でもかなり論争好きでした。軍医としても出世したエリートだったのですが、日清戦争後に小倉に左遷された頃から優しくなったと言われているんです。藤原に関しては、そのイメージを持ちながら描写していたんですが、「これは平野さん自身の変化では?」と感じる方も多いみたいで(笑)。確かに僕自身の変化もあるかもしれないけど、社会全体もそちらの方向に少しずつ変わっています。「厳しい競争を勝ち抜いて、偉業をなした人を讃えよう」という価値観を脱しつつあると言いますか。みんな疲弊していますし、格差が開くなか、「無理にでもがんばれ」と言われることに辟易してるんじゃないかなと。

——そんなにがんばらなくていいじゃないか、と。

平野:そうですね。ちょっと話が飛びますが、オリンピックに対する見方が変わってきているのも、その一つだと思うんです。僕自身は招致の段階から東京オリンピックに反対していますが、以前はオリンピック自体にネガティブな感情を持ったことはなくて、4年に1回、それなりに楽しんできたほうなんですよ。でも、今はIOCという組織に辟易しているし、オリンピックを頂点としてモデル化され、アスリートがそこを目指すというピラミッド型のイメージの弊害も大きいと思うんですね。オリンピックという一発勝負の為に人生のすべてをかけ、ハードな練習を続け、それでも足りないとドーピングに手を出す選手も後を絶たない。その姿を見ていて、多くの人が「努力し、秀でた人だけを称賛する」という価値観に冷めてきてるんじゃないかなと。「みんなが、その人なりにやっている」というほうが社会は成熟していると思いますし。話を小説に戻すと、藤原という作家の変化も、社会的な価値観の変化と軌を一にしているイメージがあるんです。

——なるほど。大坂なおみ選手がフレンチオープンの記者会見を拒否し、大会を辞退したときは、SNSのなかで賛成、反対の意見が飛び交いました。あの様子を見ていると、日本はまだまだ過渡期なのかなと思いますけどね。

平野:記者会見なんて、別になくていいじゃないですか。しかも体調がよくないと言っているのに、「プロならやれ」といった言葉を投げかけるのは、残酷だし、古い固定観念に捉われていると思いますけどね。僕は少年時代から落合博満という野球選手のファンだったんですよ。彼は監督時代も不愛想で、会見をやらないこともありましたが、そういうところも好きでしたね。記者の勉強不足やバカな質問もイヤだろうし、試合中の緊張状態の後の疲れもある。「今日は勘弁して」という日があってもいいと思いますけどね。

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