朝井リョウが語る、小説家としての心境の変化 「不確定な状態が自然なんだと受け入れられた」

朝井リョウ『正欲』インタビュー

世の中の“人の目”自体がすごく変わるもの

ーー舞台の一つにショッピングモールも出てきますが、それには理由はありますか?

朝井:岡山に行ったときに、駅と直結したイオンがとてつもない規模で、印象に残っていました。中にテレビ局とかもあって、「ここで生活のすべてをまかないます」「このイオンがあるからには、住みづらくはさせません」みたいな気概が感じられたというか。実際、岡山に住んでいる友人に話を聞いたら、やはりそのイオンの登場によって人の流れが変わったし、すごく住みやすくなって、東京など遠くに行かなくてよくなったと言っていました。かつて行ったことのある印象的な場所は、やっぱり小説に出てくる可能性も高くなりますね。

ーー場所としては鎌倉などの土地も出てきますが。

朝井:大学生のパートで初詣にまつわるシーンが出てくることが決まっていたので、そのあたりから決めていきました。名前は変えましたが、通っている設定にした大学のキャンパスや、地図を見ながら決めた登場人物たちの居住地にもそれぞれ行きました。これまでは物語の舞台にする土地に足を運ぶということもあまりしたことがなかったのですが、『死にがいを求めて生きているの』(中央公論新社)という小説を書いたときに、舞台となる札幌に3日間ほど滞在していろんな場所を歩いてみたんです。そうしたら、単純に街を知っているか知らないかというより、文章を書きながら地に足がついている感じがすごくあって、実際に歩いてみるということが自分にとってはいい作用をもたらすんだとわかりました。ただ、人に取材をするときには、正誤の確認以上のことは聞かないようにしています。たとえば『武道館』(文藝春秋)を書いたときは、実際にアイドルの方にお話を聞くこともできたわけですけれど、取材でご本人から感情に基づいた言葉を聞いてしまうと小説の内容がそれに引っ張られてしまう気がしたので、アイドルへの取材はしませんでした。今回も検察官や弁護士の方に正誤の確認はしましたが、感情の話はうかがっていません。デビューから10年経って、場所や人、それぞれの取材のアプローチの仕方が自分なりに構築されてきた気がします。

ーー『正欲』は複数の登場人物の物語が同時進行していくような構成ですよね。当初からこういう形式で書くと決めていたんですか。

朝井:この形式で書く、と決めるまでにものすごく時間がかかりました。ひとり語りの一人称、三人称、複数視点の一人称、三人称、それらとはぜんぜん違う書き方、色々試してやっと、という感じでした。今回は明かしていく情報量が多かったので、三人称の複数視点を選んだんですけれど、今でもこれで合っていたのかはわからないです。自分の頭の中のものを最も高い再現度で表現できる方法は、いつも悩みます。いつかAIに、それぞれの文章のサンプルとかを出してもらって選ぶ、みたいなことをしてみたいです。本当は全然違う国や時代を舞台にした方がしっくりきた小説もあったのかもしれないですよね。

ーー今ならこうは書かないかなってこともありますよね。

朝井:『正欲』をひとり語りの一人称で書き直したらどうなるだろう、とかはよく考えます。小説家によっては、ある譲れないテーマをあらゆる角度から書き直し続けている方もいますよね。私自身も今回の『正欲』は『死にがいを求めて生きているの』のリメイクっぽいなと思っています。リメイクって小説家としてちょっとサボっているように見えるかもしれないけれど、書きこぼしたことを拾い集めるという感覚に近いんですよね。私も今後はどんどんリメイク要素が強くなっていく予感があります。

ーー伝えたいテーマひとつはっきり決まっていて、手法は複数あるよという小説家のタイプもいますよね。逆に、次に何を書くのかが予想できない作家もいますが。

朝井:恩田陸さんなどは、次に書くジャンルさえ予想がつかないので、毎回本当に驚かされます。私もどちらかというとそういう書き手に憧れていたのですが、最近自分はそうじゃないんだということがわかり始めてきました。もともと自分ルールが多い人間なんです。自作をリメイクするような書き方はしないようにしようとか、単行本にするならこれくらいの文章量がなければ詐欺めいているとか、勝手に自分に思い込ませてきました。だけど最近、そういう自分ルールに従って何がどうなるんだろうと思うようになりました。やっぱり小説の内容によって適切な文章量というのはあるし、リメイクを繰り返す中で辿り着ける場所もあると、最近になってやっと思えるようになってきました。

ーー作家生活を10年続けてきて、心境が変化してきたところもあると?

朝井:そうですね、でもその心境の変化は、作家として、というよりも、一人の人間として、という感覚かもしれません。私は人の目をすごく気にするタイプなのですが、そもそも世の中の“人の目”自体がすごく変わるものだということが、ようやく理解できるようになったというか。

ーー特に最近は、社会の規範やこれまで常識とされたことが次々と問われるようになって、「今はこういう発言もよくないんだ」と気付くことがありますね。

朝井:私個人のことでいうと、私は逆に、自分に規範を押し付けすぎていたんだと思います。まともな人間に見られないといけないとか、自分の生きたいように生きてはダメだとか、自縄自縛していました。公の場だと小さな例しか挙げられませんが、たとえば私が就職活動をしていたのはたかだか8年ほど前で、その頃は副業があるなんて堂々と言える空気ではありませんでした。会社で働いているときも、できるだけ「他にも仕事をしている人」だと思われないようにしなければ、と必死でした。でも今はむしろ、副業が推奨される雰囲気すらありますよね。これほど変化の早い世の中で人の目を気にして何がどうなるの、という気持ちにやっとなりました。いきなり全開放とはいかないですが、そう思えている自分がこれまでよりは頼もしいです。

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