『おちょやん』ドラマで描かれなかった千代の心情とは? 小説版「初恋編」が伝える、キャラたちの意外な側面

『おちょやん』小説版が伝えるもの

 例えば、千代が家を出ていくことを決めるシーン。千代がにっくき相手・栗子に頭を下げて弟・ヨシヲのことを頼むとき、千代の頭の中に浮かんだテルヲの姿や、自分が出ていくのが一番良いと考えるまでの本当の思いが、細やかに描かれている。

 それに、小説版を読むと、あんなにも勝手でどうしようもない父・テルヲのことでも、千代がやっぱり少しは好きだったこと、出ていくときに引き止めてくれることを一瞬望んだこと、会いに来たときに嬉しくなってしまったことなどの心情が見えてくる。亡くなったときには「テルヲロス」が起こったとはいえ、病気で亡くなる終盤まで視聴者に盛大に憎まれていたテルヲが小説版だと「どこか憎めない」印象なのは、千代のこうした思いが描かれていることも一因としてあるかもしれない。

 その一方で、放送を観た後に小説版を読む面白さには、場面場面で懐かしい顔が浮かんでくることも挙げられるだろう。

 初めて会ったときのご寮さん(シズ)の凛とした佇まいが蘇ってくるし、芝居茶屋の賑やかさが目に浮かぶ。そして、後に伴侶となる一平の初登場シーンには、未来を見てきた者の目線で、ちょっとにやけてしまいそう(幼少期を演じた中須翔真がまた、非常に愛らしかった)。

 そういえば、後に親友のような存在になる「いとさん」みつえは、初対面のときには「住む世界が違う」として千代を拒絶していたっけ。それに、「福富」の福助はトランペットをいつも川に投げ込まれていたなあ……などと、懐かしいシーンが蘇ってくる。

 高城百合子の登場シーンは、ドラマと同じくやっぱりワクワクするし、千代がとあるアクシデントから初めて舞台に上がったときの高揚感も、「芝居」に魅せられていく心情もよくわかる。テルヲの借金取りから道頓堀のみんなが千代を逃がしてくれた名シーンでは、ドラマ版のスピード感や賑やかさはまさに「芝居」的で大きな魅力があったが、小説版では千代とみつえのシーンなど、大事な場面にズームするかたちでシンプルに優しく穏やかに紡がれている。

 そして、京都の「カフェー・キネマ」の女給たちや、ワガママでだらしなく、理不尽で、好き嫌いが多くて、それでも舞台に上がると別人の輝きを放つ山村千鳥と、彼女に魅せられた一座の女優たち。さらに、撮影所での大部屋の女優たちと、「初恋の人」小暮と……。

 大変だったことも悲しかったこともドキドキしたことも、まるでアルバムをめくるようにみんな一気に蘇ってくるのは、毎日顔を見続けてきた朝ドラならではの現象だ。

 ドラマと重なる部分と、印象や味わいが異なる部分とがあるのも小説版ならでは。ドラマと比べて読んでみると、新しい発見や、新鮮な感覚が得られるかもしれない。

■田幸和歌子
出版社、広告制作会社を経てフリーランスのライターに。主な著書に『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)などがある。

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