田中純に聞く、デヴィッド・ボウイの思想と美学 なぜ彼の音楽は人々の心を動かし続ける?

『デヴィッド・ボウイ』著者インタビュー

ボウイの死「自分でも驚くくらいショックだった」

――1980年代以降のライブは観たんですか。

田中:1983年と1990年の来日公演は行きましたが、1992年のティン・マシーンは行きませんでした。1990年の「Sound + Vision Tour」は自分の過去を葬りたいんだなということがよくわかった(※同ツアーを最後に以前の曲は封印と伝えられた。後に封印は解かれた)。それも含めて自分にも区切りをつける感覚がありました。

「ユリイカ」2016年4月号 ボウイ特集
「ユリイカ」2016年4月号 ボウイ特集

――ボウイが亡くなった後、「ユリイカ」2016年4月号のボウイ特集に「★(Blackstar)の徴しのもとに デヴィッド・ボウイの「晩年様式(レイト・スタイル)」」を書かれましたね。エドワード・サイードやテオドール・アドルノの議論を踏まえ、円熟や調和とは無縁な緊張を持った生産性のある「晩年様式」をボウイの後期作品に見出していました。「自殺するロックンロール」では、ビートルズなどロックの英雄時代から遅れてボウイがデビューしたことに着目し、彼について「遅延」というテーマを論じたのに対し、「★の徴しのもとに」では「遅延性=晩年性」であると指摘されました。この2つの原稿が核となって今回の大著へ発展したのだと受けとめましたが、2017年にはイギリスの哲学者、サイモン・クリッチリーが書いた『ボウイ その生と死に』を訳されてもいます。田中さんが『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』の執筆に至った経緯を聞かせてください。

サイモン・クリッチリー『ボウイ その生と死に』(新曜社)
サイモン・クリッチリー『ボウイ その生と死に』(新曜社)

田中:ボウイの音楽活動を見直すきっかけになったのは、2004年の「A Reality Tour」を観たことでした。素晴らしいコンサートだったのでそれからの活動に期待したけど、彼は病気になって沈黙の期間に入ってしまった。2013年には久しぶりに『The Next Day』を発表して、良い作品だったけど、本を書こうと発想するまでではなかった。でも、2016年1月に傑作『Blackstar』をリリースした直後に亡くなったことは、自分でも驚くくらいショックだったんです。いくつか依頼されて文章を書きましたが、『Blackstar』をどう語れるかを考えた時、「晩年様式」の概念にいきついた。意味は違うけど「遅延」も「晩年」も「late」ですから。そもそも「Station to Station」(1976年の同名アルバムに収録)の「It’s Too Late」というフレーズをモチーフにして「自殺するロックンロール」を書き始めたんです。最晩年のボウイを語るにはボウイ全体をふり返らなければいけないと感じ、いくつかの出版社からボウイについて本を出さないかといわれ、2016年春くらいには書くと決めました。けれども、ずっと書けなくてたまたまクリッチリーの本を原書で読んでとても刺激を受けた。新曜社からの依頼で訳すことにもなりましたが、同書がアプローチのモデルになってくれました。

――自身の著書のサブタイトルになっている「無(ナシング)」は……。

田中:ヒントはクリッチリーからです。結果としてできあがった本は全然違うんですが、哲学や思想の研究者であるクリッチリーがどういう水準でボウイをとらえようとしたのかがみえたので、自分は書けた。イギリス人だから歌詞は聴けばわかっちゃうわけだし、彼はかなり端折って自分の人生と重ね、エッセイ的に書いている。でも、僕は日本語で書く以上、歌詞の問題やいろんな要素を含め、きちんとした作品論をやらないとダメだと思いました。

「自分の遅れの意識をボウイに重ねた」

――「晩年様式」といえば、やはりサイードをふまえ『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』と題した短編小説集を執筆した大江健三郎氏が、初期には自分は兵士として死ぬはずだった戦争に遅れたとする意識から『遅れてきた青年』という長編を書いていました。田中さんの場合も、68年革命に遅れてきたという意識があるのではないですか。

田中:僕自身については、そうです。ボウイはビートルズの世代と年齢は大差ないんですが、かなり早くデビューしたのに彼自身が望むほど売れるまでには大変時間がかかった。そういうボウイの遅れの意識に対し、僕は彼より13歳下ですけど、1968年の兄の世代に対する憧れと遅れの意識、かつてのそれに相当する革命がなぜ起こらないのかという苛立ちがあった。自分の遅れの意識をボウイに重ねた面はあります。

――本では義兄との関係、分身(ドッペルゲンガー)、わらべ歌(ナーサリー・ライム)といったモチーフのほか、歯擦音や喃語など歌声について考察され、コード進行や楽器の演奏法など音楽的な部分にも触れられています。田中さんは、楽器は演奏するんですか。

田中:僕自身はしません。そのへんはいろんな分析を参照し裏付けをとったうえで書いています。ティン・マシーンの時期とか端折ったところはありますが、ある程度網羅的にとらえ、歌詞の意味、世界観はもとより、ビジュアルのことも必要なところで触れ、かなり総合的に書こうとしました。今度の本で僕としては、比喩的にいえば音楽家がカバー・バージョンを発表するように、ボウイの作品をカバーするつもりで書いたんです。英語の歌の発音をカタカナにして訳詞にルビを振ったのも、ボウイを聴いたことがない人にも日本語で伝えなくちゃいけないと考えたからです。

 絵画や映画のディスクリプション(言葉による説明)も難しいですが、音楽はもっと難しい。歌詞は引用できるし、だからネットの考察サイトなどはみな訳詞をやるけど、意味はとれても音は消えちゃう。本だと、聴けばわかるとはいかない。それを限界ととらえるのではなく、文字でどう伝えられるか考えた末が今回のルビですし、いろんな要素を動員して記述しました。シンセサイザー主体の『Low』B面を論じる時と初期のフォーク・ソング的な曲を論じる時では違いますし、曲ごとに適切なアプローチを選びました。「無」や異父兄のテリー・バーンズとの関係、わらべ歌といった観点は、作品分析を積み重ねるなかで浮かび上がってきた結果であって、最終段階で通読し、あまり偏ったものにならないよう調整しました。これは日本語ネイティブの自分がボウイをどう聴いたかを日本の読者向けに書いたものですが、クリッチリーから発している「無」の問題を論じたわけなので、分身、わらべ歌なども含め、結論で論じたことは近いうちに英語にしてクリッチリーに読んでもらいたいですね。

――本にする時、原稿の4分の1を削ったそうですが、残すかどうか迷った部分は。

田中:本質的な、必要なところは全部入れられたと思います。ただ、この本とは別に、ある観点からボウイのベスト・アルバムのようなものを想定して、それのリミックス・バージョンとしてのごく薄い本を書きたいと思っています。今度の本でボウイの曲のわらべ歌的な部分を論じましたが、子どもの頃から聴いていたという点で我々世代にとってボウイの曲はわらべ歌的なものになりつつある。その性格をエッセイ的な本として、ボウイ以外のものと曲単位でリミックスして1つの時代史を書けないかと思っています。

未来でもボウイは「文化的、社会的な影響力を及ぼしうる」

――『政治の美学』のあとがきには、1977年の高校3年生の秋に『Low』、「ドイツの秋」、そして少女マンガで萩尾望都『トーマの心臓』など様々な知的衝撃が一挙に押し寄せたとありました。当時の少女マンガでは、ボウイなど海外のロック・スターがキャラクターのモデルになっていましたし、『トーマの心臓』など少女向けの男性同性愛もの、後にBLと呼ばれるジャンルが出始めた時期です。ボウイはそういう文化圏でも受容されていましたよね。

田中:『トーマの心臓』はたまたま同時期に同級生の女の子からすすめられ読んでショックを受けました(笑)。今考えると、セクシュアリティの揺らぎ、自分の存在感のゆらぎに関しては、ボウイを聴き始めたことと通底していた。ボウイの音楽に内在する少年たち(ボーイズ)への呼びかけ、兄弟というテーマと深くかかわっていると思います。彼の1970年代はじめの作品が英語圏のゲイ、トランスジェンダーの人々に解放的な作用をおよぼしたことともつながっていたでしょう。男性性の規範からの解放という感覚もあった気がしますし、『トーマの心臓』をきっかけに大島弓子や倉多江美などを読んだのもそういうことだったんでしょう。オルタナティブな成熟の可能性を示してくれる面があったと思います。

――ボウイについては昨年、NHKが「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 「ロックが壊したベルリンの壁」」という番組で冷戦時代のその壁を歌った「”Heroes”」や1980年代のベルリンにおけるボウイのコンサートをとりあげ彼が時代を動かしたと紹介したほか、ナチス・ドイツの末期を舞台にした映画『ジョジョ・ラビット』(2019年)のエンディングでやはり「”Heroes”」が流れるなど、時代や社会と結びついた音楽として扱われています。

田中:「”Heroes”」はわかりやすい歌詞ではないですが、冒頭のロバート・フリップのギターがすでになにかの到来を予感させるように鳴り響いています。僕も1977年に革命を予感させる音楽と思ったわけで、変化の予感を与えてくれるボウイの作品群のなかでも特権的な曲でしょう。『ジョジョ・ラビット』もそうですが、エマ・ワトソンが出演した映画『ウォールフラワー』(2012年)でも重要な場面で「”Heroes”」が使われていました。

 この曲に限らず、ディストピア的な『Diamond Dogs』とか、直接的な政治的メッセージではないからこそ様々な解釈が可能で、含みのある歌詞、そしてサウンド、ボウイのボーカルの相互作用によって、時代や社会を変えたい、変えようとする人々の心を動かし影響を与えてきたのではないか。それがボウイの作品の特性であり価値だと思います。だから、直接的なメッセージを歌った詞よりも古びない。2010年代の映画に「”Heroes”」とはアナクロニックですよね。でも、『ジョジョ・ラビット』も『ウォールフラワー』も少年少女たちが主人公で、彼らが口ずさんだり踊る音楽としてこの曲が選ばれているのは象徴的だし、作品の力を表している。

 2016年のブリット・アワードでボウイのトリビュートが行われ、ロードが「Life on Mars?」(『Hunky Dory』1971年収録)を歌った。今年1月の没後5年のトリビュート番組ではヤングブラッドが同じ曲をカバーして素晴らしい出来だった。若い世代が傑出した解釈で音楽を受け継いでいることは、今後もボウイが文化的、社会的な影響力を及ぼしうると証明してくれている気がします。僕はそこにすごく期待を持っています。

■書籍情報
『デヴィッド・ボウイ 無(ナシング)を歌った男』
著者:田中純
出版社:岩波書店
発売日:2021年2月17日
価格:本体4,900円+税
https://www.iwanami.co.jp/book/b555709.html

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