Googleが結婚相手を決めてくれる未来は幸福なのか? 2068年の“ゼロリスク社会”で失われるもの

Googleが結婚相手を決める未来

 恋愛におけるゼロリスクの実現。実際、自分自身の判断力のみで恋愛対象や結婚相手を選ぶ行為は困難なのではないかと思うことがある。恋愛において、自己の判断力はかなりあてにならない。金銭問題や不倫、ドメスティック・バイオレンスなど、愛情生活の失敗例は深刻なリスクをともなうものも多い。近い将来、もしアルゴリズムが最適解を出してくれて、それで幸福になれるのなら、いっそのことわれわれはAIに結婚相手の選択を一任すべきではないのかという気になってくる。人類はこの誘惑をはねのけることができるのか。同じ問題について、ハラリはこのように述べた。

「アンナ・カレーニナがスマートフォンを取り出して、カレーニンの妻であり続けるべきか、それとも颯爽としたヴロンスキー伯爵と駆け落ちすべきかをフェイスブックのアルゴリズムに尋ねるところを想像してほしい。あるいは、あなたが気に入っているシェイクスピアの戯曲で、きわめて重要な決定がすべてグーグルのアルゴリズムによって下されるところを想像するといい。ハムレットとマクベスははるかに安楽な人生を送れるだろうが、それはいったいどんな種類の人生となるのか? そのような人生の意味を理解するためのモデルが、私たちにはあるのか?」(『21 Lessons』)

 アルゴリズムが就職先を決め、結婚相手を決め、その仕事を続けるべきか、その結婚相手との生活を続けるべきかを決める。AIの判断に従うことが結局は正解なのだとしても、人間の一生から意思決定が取り除かれた先に何があるのか、と考えると暗い気持ちにさせられる。恋愛で失敗したくないとは万人に共通の願いだが、他者との関係性で失敗することは、見方によってはこれ以上なく人間らしい、自由で豊かな経験なのではとすら思えてくる。ゼロリスク社会で失われるのは、手痛い間違いをして傷つくという人間らしい経験、失敗する権利なのではないか。*2

 いつしか技術の進歩が私たちの文化や哲学、倫理を追い越すようになってきており、まごついているというのが現在であるように思う。そう考えたとき、偶然や失敗、リスクにさらされながら右往左往している2021年のわれわれは、やや大げさな言い方になってしまうが、人間らしい生き方が許された最後の世代なのではないかという気がしてくるのだ。それと最後になりますが、誰か私の電話番号を知っている方、ぜひ「Clubhouse」に招待してください。

*1 https://gigazine.net/news/20210212-clubhouse-phones-contacts-access/

*2 ハラリのこうした主張には反論もある。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの『「私」は脳ではない』(講談社選書メチエ)は、人間の自由意志に関するハラリへの反論となっている。『透明性』や『21 Lessons』に不安を感じた方は、バランスを取るためにもぜひ読んでいただきたい。またマルクス・ガブリエルは、グーグルやフェイスブックは、利用者が検索したり、投稿する作業は労働であり、そのたびに賃金を支払うべきだと述べており、近い将来にGAFAは利用者に支払いを開始するはずだと予測している。こうした主張もまた『透明性』に影響を与えているように思う。

■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。

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