『水曜どうでしょう』嬉野Dが語る、人生をハッピーにする世渡り術 「流されるしかないときは流されないとだめ」

『水曜どうでしょう』嬉野Dの人生哲学

ーー其ノ伍「秘儀、自分で自分に命令する」では嬉野さんのお知り合いでもある、若き陶工のエピソードが描かれています。彼は18歳のとき挫折し、引きこもりになってしまいますが、自ら課した「他者を命令者にせよという命令」によって、彼の人生は好転していきます。

嬉野:彼は人と出会い、ずっと人に振り回されてるように見えるふしがあるから、彼の主体性はそこにないように見えるんだけれども、流されると決めること、そこに彼の主体性がある。そうして彼はいつの間にかプロの陶芸家が驚くほどの土をこねるようになるでしょう。だから彼はその「今」という瞬間に集中できる技量を持っていたんだろうね。集中するためには、集中できるだけの技量がないと集中できないんだけど、人それぞれによって集中できるジャンルは違う。世の中の流行り廃りに引っ張られて自分の将来をイメージしてしまうと、その技量がない場合苦しんでしまう。その人が集中できるジャンルがあるはずで、本人もそのほうが幸せになる。世の中の流行り廃りとその人の技量が合致した人は脚光を浴びるんだろうけど、それはたまたまなんだよね。

 結局、生きにくさというものは自分自身が作っているんだと思うんです。じゃあ生きやすくするにはどうしたらいいかというと、自分と相談するしかない。自分を説得し、自分を騙すということ。

 何年か前に『水曜どうでしょう』ディレクターの藤村くんが時代劇芝居やっていたとき、ぼくもストーリーテラーとして幕間で講談やったんですよ。でも舞台に上がること自体初めてで、しかもそれは、幕間にやる講談だから舞台には自分1人しかいないわけ。客を前に自分1人の語りで場を持たせなければならないわけだから緊張する。台本は自分で書いてるから中身はよく分かっているんだけど、その日のコンディションというのは舞台に上がってみるまで分からない。だから「やれる」と思って舞台に上がっても、まったく調子の出ないときがある。そんなときって、なんとか挽回したいから焦るんだけど、焦るとさらにメタメタになるのよ。だから「今」っていう目の前の現実に逆らうことは、できないんだなって「あきらめ」を学んだ。

 そういうのを何回も経験していると「舞台で調子が出ないときは、力の出ないなりに不満足でもやるしかない」と思うようになる。そう納得してやる方が結果的に被害が少なくて済むわけだね。そういうときは自分の手の中にあるものだけで、どれだけのことができるか、そこに心を尽くすの。そのときはもう、自分が想定してた"成功する自分"というイメージは、スッと、忘れなきゃならない。そんなふうなことを考えているとね、ふと思うんだよね。

 "本番は自分の思うようにはならない"というのは人生にも当てはまるなぁって。思うようにならないときは、踏ん張れない自分のままを受け入れて、それで納得して演じようとする方が被害が少ない。

ーー流れに身をまかすということですかね。

嬉野:そう、力の出ないときは流された方が被害が少ないのよ。流されるしかないときは流されないとだめ。本番で演じる自分の出来不出来を気にしすぎていると、舞台の上で、せっかくの「今」に集中できなくなって、しくじりが増すばかり。だからそういうときは今の自分でやれる範囲を見極め、被害を最小にとどめるように無理なく立ち回るってことをした方がいいと、僕は思っている。

 人生も、そういう気持ちで生きる方が得じゃないかなと。それに舞台だって人生だって繰り返し。生きてる限り明日はあるわけだから、ゴールを自分で決めてしまって、そこへ行かなきゃと嘆くより、最後にどんなゴールが見られるんだろう?くらいのゆるい心構えでいた方が、人生は楽しくなるのではと思う。それに、心に余裕があれば上手くいかない経験をしたときも、そこからたくさんの拾い物をするんじゃないかなとも思うわけです。

いまこそ『物語』を活用する

ーー本書には映画やドキュメンタリーなど、作品に接した際の嬉野さんの驚きや心境について書かれたエピソードがあります。「おわりに」では「物語の強さ」について言及されています。現実がフィクションを追い抜いてしまうような今の世の中ですが、嬉野さんが考える「物語の強さ」について改めてお聞かせください。

嬉野:物語というと、おもしろさを消費するためのエンターテイメントの側面が一般的かもしれないけど、物語って「おもしろい、おもしろい」って、次々に消費するだけではないと思うんだよね。

 そもそも物語を見て「どうしておもしろいと思うのか」というところを僕は考えたい。現実ではない物語の世界にリアリティーを感じさせられてしまうから、知らないうちに引き込まれる。その物語の世界に登場する人物にリアリティーを感じたら、好きになったり、共感したり、憧れたりして、なおさら引き込まれる。だから物語はもう1つの体験だと思う。もう1つというのは、この現実世界での体験ではない、もう1つ別の世界ということね。人間は、そういうふうに現実でなくても、物語というイメージを体験することができる。そういう能力がそもそも備わっている。だから、現実ではないその物語の世界で善悪も教えてもらっていたりするし、恋愛や感動、思いやりや、優しさだって教えてもらっていると思う。

 あと、現実世界では価値がないと思い込んでいたものにも、物語世界で価値があるんだと教えてもらうこともあるのかもしれない。そういう気付きだって物語を通して生まれる。そんな体験ができたら、その瞬間から現実世界の見え方も変わってしまう。

 そういうふうに、自分すら無理なく自然に変えてしまうのが物語の力だと思う。そう考えると、人生は現実の世界だけでは説明がつかないのかもしれないと、だんだん思えてくるわけです。物語はイメージの世界、嘘の世界のはずなのに現実のように体験した気持ちになることができて、そこから学ぶこともできる。その能力をあらかじめ授かっている人間は、現実世界と物語世界、その2つの世界を使うことで自分の運命に、ちょうどいいバランスを与えながら、生きていくことを前提に作られているのかもしれないと思えてくる。だったら、自分をそのようなものとして捉え、積極的に物語を活用する方が生きていくのには得だなと思ったんですね。

■書籍情報
『ただばたらき』
著者:嬉野雅道
出版社:KADOKAWA
発売日:発売中
定価:1,430円(本体1,300円+税)
公式サイト

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