『鬼滅の刃』読者が「沼」にハマる理由 『千と千尋の神隠し』『君の名は。』に通じる古神道・民俗学の視点から読み解く

『鬼滅の刃』読者が「沼」にハマる理由

『千と千尋』『君の名は。』との共通点

 『鬼滅の刃』は、戦国時代の忍者と近現代の文化をミックスさせた『NARUTO』のようなケレン味が見られず、純和風の世界観となっている。

 『鬼滅』の舞台設定は、日本の古神道・民俗学が背景にある。日の神(ヒノカミ)の伝承は出雲大社のある島根県をはじめ、たたら製鉄が盛んだった地に伝わっており、火の神(カグヅチ)や刀鍛冶にも関係しているのは面白い。日の呼吸と火の呼吸の違いは、大正時代の世俗に詳しい人ならすぐにピンと来るのだ。作者の吾峠呼世晴が出雲の金屋子神話からヒノカミ神楽の着想を得た事が伺える。

 また、古い民俗資料によれば、鬼の正体は製鉄業に携わった「山人」であるという。中国地方の鉄を有する勢力が大和朝廷により悪しき存在として後世に伝えられたという説だ。

 民俗学の父・柳田国男『山の人生』には、子供の首に斧を振り下ろした炭焼きの男の特赦事件について纏められている。

 何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。

 眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻りに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。阿爺、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。(引用:角川ソフィア文庫『山の人生』9P)

柳田国男『山の人生』

 竈門炭治郎と同じ身の上の男が「鬼」であるとしたら、炭治郎もあるいはそうなっていたかも知れない。『鬼滅』に登場する鬼が似た境遇を抱え、同情する視聴者が後を絶たないのも分かるだろう。

 『千と千尋の神隠し』『君の名は。』そして『鬼滅の刃』、いずれも古神道・民俗学を基にした作品である点は見逃せない。大正時代といえば今から100年前、GHQの神道指令によって途絶される前の、古き良き日本の世界観である。

 「鬼」はかつて人であり、それぞれの人生を歩んでいた。『鬼滅の刃』は鬼側が抱える事情も、当時の世俗と共に余す所なく伝えている。単なるキャラクター人気に留まらず、その奥に隠された作者の日本文化に対する深い洞察が、日本人の心を捉えているのだ。

 『鬼滅』ブームの到来から1年が経過したが、むしろここからがブームの本番だと見ている。アニメ一挙放送から映画化の流れで、新規の数が更に増えたからだ。まだまだ「沼」の底は見えない。

■井上郁 
言語学者、フリーライター。英文学・言語学・メディア記号論を専攻。マンガ・アニメ・ゲームを総合文化研究の俎上に載せ、記号論の観点から考察しています。

■書籍情報
『鬼滅の刃(8)』
吾峠呼世晴 著
価格:本体400円+税
出版社:集英社
公式サイト

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