在日コリアン4世代の激動の人生描く『パチンコ』 不寛容な社会で我々はどう生きるか?

『パチンコ』不寛容な社会への問い

 そしてもう一つ、繰り返し描かれるのは、人は過ちを犯す生き物だということである。どんなに「善良な人」にも、過ちはある。家族を思うがゆえ、自身のプライドの高さゆえに行った自身の過去の行動・言動を、死を前に悔み続けるヨセプや、自身の若い頃の弱さゆえに、実の子供たちに憎まれている、モーザスの愛人・悦子。そして美貌ゆえに哀しい末路を辿る、悦子の娘・花。

 人生にはどんなに願ってもやり直しがきかないことがある。不寛容な社会において、一度犯してしまった過ちは、どこまでも彼らを追い詰める。この物語は、在日コリアンのみならず障害者、同性愛者、外国人等それぞれのコミュニティにおけるマイノリティの葛藤を描くと共に、一度道を踏み外した人間に対する世間の容赦ないバッシングも描いた。

 それでも年老いたソンジャは、妻子ある男・ハンスとの「過ち」で生まれた子供ノアのことで、ハンスの全てを断罪することはできないと感じる。なぜなら、その過ちがなければ、ノアは生まれず、イサクと結婚し大阪に渡りモーザスを生むこともなかったからだ。また、一生に渡ってソンジャとその家族に陰ながら援助を続けたハンスがいなければ、彼女たちの人生はもっと過酷なものになっていた。ヒロイン自身の人生自体が過ちから始まっている。だからこそ、過ちを含めた人生の肯定、時に彼らを苦しめた他者の人生の肯定が可能なのである。

 これは「差別をなくそう、世界を変えよう」という物語ではない。どんな手段をとっても結局のところ同じ「パチンコ店経営」という日本社会におけるグレーゾーンに行き着いてしまう彼らは、どこまでも差別がなくならない社会に対して諦めを抱かずにはいられない。「世間があたしたちを受け入れるなんてことは絶対にない、いつまで待ったってこの国は何一つ変わらない(下巻,p.326)」のだから。

 それでも彼らの行き着く先は、絶望ではない。変わらない世界を前に、人々はどう生きるのか。どうすれば抗えるのか。

 「人が何者であるかを決めるのは血だけではない(下巻,p.334)」。大切なのは、血や過去を憎むのではなく、今、目の前にいる善良な一人の人を見つめ、信じることだ。そして、自分自身が、何があろうと常に真っ当に、正直に生きようとすることなのだ。これは、この不寛容な時代を生きる人々全てに送られた、渾身のメッセージなのである。

■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住。学生時代の寺山修司研究がきっかけで、休日はテレビドラマに映画、本に溺れ、ライター業に勤しむ。日中は書店員。「映画芸術」などに寄稿。

■書籍情報
『パチンコ上・下』
著者:ミン・ジン・リー
翻訳:池田真紀子
出版社:文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912257

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