世界のアーティストは黒澤映画をどう表現した? 海外版ポスターから浮かび上がる、黒澤明の新たな姿

海外版ポスターから見えてくる黒澤明の軌跡

 しかし、黒澤明の存在があまりにも大きなものとなったことで、逆に権勢が揺るがされた時期もあった。『影武者』(1980年)以降、黒澤作品が娯楽から芸術への比重を高めていくタイミングで、日本の批評家筋から映画界の悪しき権威のイメージや、作家性の枯渇を指摘されるといったバッシングを受けることになったのだ。黒澤の後期作品が、とくに日本で軽視されることがあるのには、そのような事情もある。

左から『デルス・ウザーラ』『乱』『八月の狂詩曲』(いずれもポーランド)

 そんな状況でも、もちろん日本には多くのファンが存在し、世界も黒澤作品を愛し続けた。コッポラやルーカスなど、すでに映画界のトップに立っていた精神的な弟子たちが製作を助けたことで、黒澤の偉大さは海外からの力によって再び証明されることとなった。ポーランドのアーティストたちは、『デルス・ウザーラ』では虎たちが巨大な目玉によって交わるシュールなイメージを作り、『乱』(1985年)ではアンリ・マティスのような原色踊る鮮烈さを強調、『八月の狂詩曲』(1991年)では原爆のモチーフがみずみずしい感性で描かれている。ここでは、依然として黒澤の先進性を読み取り、アーティストたちは新たなインスピレーションを受けているのだ。

 近年、海外の人々が日本文化を賞賛する様子をメディアがわざわざ追いかけて強調し、日本人の視聴者や読者が喜んで見るといった「日本スゴイ」ブームが続いている。黒澤監督も、日本国内の映画祭の宣伝で日本の誇りとして引き合いに出されたことからも分かるように、そういった文脈でダシに使われることが少なくない。だが、黒澤作品がこれほど海外で支持され、『七人の侍』がアメリカでオールスターキャストの『荒野の七人』(1960年)としてリメイクされ、『用心棒』がイタリアで非公式にイーストウッド主演の『荒野の用心棒』(1964年)となるほどの汎用性を持ち得たのは、黒澤が日本人だからということではないだろう。

 黒澤作品のベースには、西部劇やサスペンス映画など、海外の作品からの強い影響がある。近年もインド映画『バーフバリ』や、アカデミー賞の勝者となったポン・ジュノ監督の作品に、われわれが黒澤の影をいまも見るように、黒澤が世界から受けた影響が、黒澤作品を通してまた世界へと還流しているということなのだ。

 黒澤作品が旅した世界を感じることのできる本書もまた、黒澤映画が与えたインスピレーションや、アーティストたちの独自性が色濃く反映されたポスターを通して、世界とつながったダイナミックな文化の流れを感じることができる。われわれはそこで新たな黒澤明を発見し、同時に世界を発見するのである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■書籍情報
『旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより』
監修:国立映画アーカイブ
出版社:株式会社国書刊行会
定価:本体価格2,600円+税
<発売中>
https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336065438/

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