成婚できるかどうかは、親との関係性にかかっている? 『婚活迷子、お助けします。』第十話

成婚できるかどうかは、親との関係性にかかっている?

婚活迷子、お助けします。 仲人・結城華音の縁結び手帳

お見合いで、こういうお店に連れてくるような方は……

 時は2時間ほど前にさかのぼる。11時の待ち合わせにしたのは、その時間しかランチの予約がとれないと幸次郎に言われたからだ。土曜の昼はとくに混雑すると聞いて、人気店なのだなあ、とスープの味を思い出したらそれだけでお腹がすいた。

 けれど、当日になってみると食欲を感じるほどの余裕はなく、幸次郎に会うのだと思っただけで心臓がばくばく音を立てて、朝ごはんもろくに食べられなかった。ふだんから食の細い志津子が、紅茶とチーズだけで終えているのを誰も気にかけてはいなかったが、挙動はやや不審だったらしく、今日はなにかあるの、とめざとい母に聞かれて焦ったのがよくなかった。ちょっと面倒な取引先とのうちあわせで、とごまかしてから、本当に抱えている面倒な取引先について愚痴めいたことをこぼしてみたのだけれど、それも過剰だったのかもしれない。ランチを終えて外に出ると、母がいた。偶然、のような顔をしていたけれどそんなわけもなく、おそらく向かいのカフェで時間をつぶしていたのだろう。

 「お付き合いされている方?」と、母が聞くと、幸次郎は照れたようにぶんぶんと手を横に振った。

「そんなんじゃないです。おれ、いや僕は……」

 言いかけて、志津子の様子から察したのだろう。結婚相談所とも見合いとも言わずにただ「友達です。ええと、うちの会社が志津子さんに仕事をお願いしたことがあって、その縁で」と言った。厳密には、嘘ではない。はじめて会ったとき、会社名を聞いた志津子がそう伝えたのを、幸次郎が覚えていただけだ。もっとも、幸次郎とはなんのかかわりもない部署で、担当者のことさえ彼は知らなかったけれど。

「……ごめんなさい、田中さん。今日はここで失礼させていただいてもいいですか」

 それ以上、3人でいることに耐えきれず、切り出したのは志津子だった。幸次郎は、一瞬「えっ」という顔をしたあと、すぐに人懐こい笑みを浮かべた。

「もちろん。僕もこれから仕事だから。じゃあ、すみません。失礼します」

 如才なく頭を下げて去っていく幸次郎からは、うっかりミスの多いデートの印象は消えていて、ああ営業職の人なんだなあと妙に納得させられた。場の空気を読んで、適切に対応する。向いてないのに仕事中は気を張りまくってるから、その反動でプライベートではぼんやりしてばかりなんだ。なんて、いつかぼやいていたことは本当だったのだと。

 駅に向かう幸次郎の背中が小さくなると、母は言った。

「それで、本当にお友達?」

 信じていないのがあらわな声に、動揺もあって志津子はしらを切ることができなかった。結婚相談所に入会したの。もうずっと、土曜はお見合いをしてる。あの人は、そのうちの一人。ぽつぽつと説明する志津子に、母は表情を変えなかった。いつものように穏やかで、皺ひとつない美しい横顔。見つめながら志津子は、自分が小さな子どもになった気分でスカートをきゅっと握った。

「お見合いで、こういうお店に連れてくるような方は、お母さんどうかと思うけどね」

 母は暖簾を一瞥すると、志津子の返事を待たずにさっさと歩きだした。こういうお店、って。おいしいんだよ。それに大将も幸次郎さんのお友達もとてもいい人で。言いたかったが、母が言うのは味ではなくて、誰にでも入りやすい庶民的な雰囲気を言っているのだということ、そして店自体がわるいのではなく母の思う“見合い相手とのデート”にそぐわないというだけだ、ということはわかっていたから、黙る。悪気はない。誰を貶めているつもりもない。どちらかというと、志津子をただただ心配していて。それだけで。

「なにをしているの、はやくいらっしゃい」

 道路わきにタクシーを止めた母に手招きされる。そこで逃げ去る勇気は、もちろん志津子にはなかった。聞かれるがままにブルーバードの所在地を告げると、タクシーはまっすぐ走り出した。その時点で、母にブルーバードから退会させるほどの意思はなかっただろう。どんな相談所か、娘を任せるにふさわしい仲人かを、確認しておきたかっただけだ。けれどやはり聞かれるがままに幸次郎のプロフィールや、ほかにどんな人たちと見合いを重ねたかを告げるにつれて、母の表情は少しずつ曇っていた。そして、ブルーバードの入っている古びたビルを見上げたとき、母の決意はかたまったようだった。

「あなたは何も心配しなくていいの。お父さんもお兄ちゃんも、あなたにいいお相手がいないか探してくれているから。お母さんもね、お友達に声をかけているところなのよ」

 うん、とか細い声で答えながら志津子は、ついさっきまで幸次郎と肩を並べていたカウンターの風景を思い浮かべていた。1カ月以上も放置していたというのに、幸次郎はまるで気にしていないどころか、フラれたわけじゃなくてよかったと無邪気に喜んでいた。あいかわらず箸遣いは雑だったけれど、以前に気になっていたやや握り込むような持ち方は改善され、器の上ではなく箸置きにそっと置くようになっているのを見て驚いていると、彼が手洗いに行っている隙にカウンターの中から声をかけられた。

「あいつ、志津子さんに釣り合うようになりたいからって、必死で練習してたんですよ。このカウンターで、俺や大将に口やかましく注意されながらね」

 悪いやつじゃないんです、と苦笑する幸次郎の友人に、胸がじんと熱くなった。たった1時間半程度だったけれど、ここ最近でいちばん楽しい食事の時間だと志津子は思った。それなのに。

 ――もう、おしまい。

 紀里谷と華音に、言葉はやわらかく、しかし一歩も退かない姿勢で退会を告げる母の言葉を聞きながら、志津子の胸中に湧き出ていたのは虚無感だ。どうしてだろう。私、自分の力だけで婚活したいって、そんなに変なことかな。田中さんって、お母さんががっかりするほどだめな人だろうか。でもこんなにお母さんがゆるぎないってことは、私がなにかを見落として間違えているんだよね。結婚って、自分たちだけのことじゃないんだもん。お母さんが認めてくれない人と一緒になるわけにはいかないし。

 ――どうせ、これで田中さんには嫌われてしまっただろうし。

 おおらかな幸次郎のことだから、嫌いはしないかもしれない。だが少なくとも、“引いた”だろう。母が偶然ではなくあの場所にいたことは、たぶんすぐに悟ったはずだ。母と志津子の醸し出すめんどくさそうな雰囲気も。

 家族がお見合いを組んでくれるというなら、それに乗っかったほうがいいのかもしれない。と不意に志津子は思った。思い出したのは、高校時代の友人の顔だ。過去に彼氏との付き合いを反対され怒りを爆発させていた彼女も、けっきょく、親が申し分ないと太鼓判を押した人と結婚し、幸せそうな家族写真をSNSに載せている。

 ――まわりが反対するって、やっぱりそれだけの理由があるんだよ。親って、なんだかんだいちばん子供のことを見てるし、経験値があるぶんわかっていることも多いし。

 ――結婚ってさあ、けっきょく家と家との結びつきだし。自分の気持ちだけで無理を通しても、あとからうまくいかないことのほうが多いと思うよ。

 ――子供が産まれたときにおじいちゃん、おばあちゃんにかわいがってもらえないのもかわいそうだしねー。

 何人かの友人たちが、口々に言っていたことがよみがえってきて、志津子は全身が硬直するのを感じた。……そう。彼女たちはたぶん、正しい。そうするのがきっと、安全に幸せになれる道なのだ。だから。

 私、退会します。ごめんなさい。

 そう、華音に告げようとしたとき。

 華音が机のうえに載せていた、スマートフォンの背中が目に入った。赤く縁どられ、黄色く塗りたくられた、雄々しいライオンのシール。華音に連れていってもらったプロレス団体のロゴ。

 ――立ち上がるときはひとりです。

 華音の言葉が、よみがえる。

 ――この人と自分で決めた相手に、全力で立ち向かってみませんか。

 思い浮かんだのは母と幸次郎、そして華音だった。いま、志津子の目の前にいる人。立ち向かわなくてはいけない相手。誰かの力を借りるのではなく、それぞれに自分ひとりの全力で。

 華音と、ふいに目があった。

 その瞳は志津子になにかを訴えかけるように、切実な色をともしていた。

(イラスト=野々愛/編集=稲子美砂)

※本連載は、結婚相談所「結婚物語。」のブログ、および、ブログをまとめた書籍『夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。“私”がプロポーズされない5つの理由』などを参考にしております。

結婚相談所「結婚物語。」のブログ

『夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。“私”がプロポーズされない5つの理由』

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