中森明夫が語る、80年代精神と“青い秋”の生き方 「本当のお祭りはついぞ訪れなかった」

中森明夫が語る、80年代精神と“青い秋”

アイドルにずっと支えられてきた

ーー本書でもう一つ、重要な題材となっているのがアイドルです。中でも1986年に亡くなった岡田有希子さんのエピソードなどは、事実として知ってはいたもののショックでした。

中森:80年代は僕がアイドル評論家になっていく過程の時期で、アイドルカルチャーが元気だったからこそライターとして世に出ることができたのだと思います。岡田有希子はアイドルブームの真っ盛りに忽然と亡くなってしまって、本当にショックでしたね。僕は今も彼女が亡くなった四谷四丁目の交差点の側に住んでいて、命日には手を合わせに行っています。僕の今のアイドル観は彼女の存在なしには語れないし、アイドルにずっと支えられてきたので、彼女のことはちゃんと書き残したかったんです。アイドルカルチャーは、若者に過剰な負荷をかけることによってエンタテインメントが成立しているという部分がどうしてもあって、それが極端に不幸な結果になってしまったのが岡田有希子さんのケースだと思います。90年代からは長らく“アイドル冬の時代”が続いて、当時のことを書けるライターは本当に少なくなってしまったから、僕が書き残さないといけないという気持ちもありました。

ーーその一方で、後藤久美子さんと宮沢りえさんとの交流は、中森さんの人生の中でも輝かしい瞬間として記されています。

中森:僕が会った時、後藤久美子は13歳で、宮沢りえは16歳。2人ともまだ子供だったので、当時のエピソードは貴重だと思います。アイドルのイメージが歌手から美少女へと移り変わる時期で、2人が正反対の性格でありながら仲が良かったというのは、すごく印象的でした。今回の小説で、後藤久美子の『ゴクミ語録』(1987年)を制作した時の裏話を書くことができたのも良かったです。彼女の本を作る時は、国江義雄さん(仮名)というエディトリアルデザイナーの先輩が活躍していたんですけれど、国江さんも一昨年亡くなってしまって。後藤久美子や宮沢りえは大スターなんだけれど、その裏側にもたくさんの人がいて、みんなであの時代を描いていたというのを伝えたかった。国江さんのことを書いたことで、タレント回想録ではなく、小説として成り立つ読み物になったと思っています。

ーー中上健次さん、西部邁さん、吉本隆明さん、浅田彰さんといった錚々たる知識人との交流も、本書を読み応えのある作品にしています。

中森:もう会えない人も多いですね。中上さんとの付き合いは短かったんだけれど、強烈でした。80年代半ばに『平凡パンチ』で対談をすることになって、当時の中上さんは巨漢だし怖いイメージがあったから、編集者からは「お前、殴られるぞ」って散々脅されたんだけれど、なぜかすごく可愛がってくれて、新宿の文壇バーに連れていってもらいました。中上さんが亡くなってからも僕はそこに通って、三十年後に西部邁さんと親しくなりました。中上さんにしても西部邁さんにしても僕からすると人生の先を行っていた大先輩ですし、親父が上京してきた時に新宿のなんでもない飲み屋で話をしたという思い出もあって、漠然とですが、新宿という街を通して父性に触れることができたように思います。

ーーその頃の知識人と、古市さんのような昨今の若手の知識人に違いは感じますか?

中森:うん、全然違うと思う。最近だと落合陽一さんっているけれど、彼は落合信彦さんの息子でしょう? ゴルゴ13みたいな風貌で「スーパードライ」のCMに出ていた人の息子が、どういう育て方をしたら落合陽一さんみたいになるのか、全然想像がつかない(笑)。浅田彰さんなんかも、僕が出会った人の中でもズバ抜けて頭が良い人だと思うけれど、やっぱり破天荒ですよ。どちらが良いということではないけれど、今の人は真面目だと感じます。よく、最近の若くて賢い人は“最適解”という言葉を使うけれど、それは最速で正解というか、間違いのないやり方を探すという感じで、わざとバカなことをしたりはしない。それは、個人の力で何かを変えることができるという感覚が失われたことの表れなのかなとも感じます。

ーー浅田彰さんたちとのエピソードで印象的なものは?

中森:浅田さんとは僕らが新人類と呼ばれていた頃に知り合ったんですけれど、パッと言えばパッと答えが返ってくる人で、「この人に会えて良かった」と思ったものです。浅田彰、柄谷行人、宮台真司の3人は、僕が特にすごいと感じる人ですね。で、この本には書かなかったんですけれど、僕ら新人類は当時、メディア対応なんて全くわからない状態で、いきなり深夜番組のレギュラーを持たされそうになったんです。僕は正直、全く乗り気じゃなくて、ちょうど京都から東京に来ていた浅田さんに相談しようと、赤坂プリンスホテルのスイートルームを訪れたんです。そしたら「単発出演なら受けたほうが良いけれど、レギュラーならやめておいた方が良いんじゃない」って、ごく普通の答えが返ってきて。1日中、取材を受けて疲れている浅田さんに、しょうもないことで頭を使わせてしまったなと(笑)。柄谷行人さんもめちゃくちゃ頭が良いけれど、ちょっと天然なところがあって、彼は寝る前に難しい本を読むと頭が冴えてしまうから、全巻揃えている『こちら亀有公園前派出所』を何度も読み返すそうです。『こち亀』は反復だから眠くなるらしく、「中森くんは独身だから、洗濯が面倒臭くなって、比較的汚れていないパンツをもう1回履いたりするだろう? それと同じように、僕は比較的まだ読んでいない『こち亀』を読み直すんだ」と言っていて、頭良い人でもそんなこと考えているんだなって。

ーーみなさん、どこかユニークというか、愛嬌がありますね。

中森:僕にとっての小説は、結局のところ“すべらない話”みたいな感覚なんです。だから、この手のエピソードはいくらでも出てきます(笑)。この本に書いていないことでいうと、1990年代にサンクチュアリ出版を立ち上げた『毎日が冒険』の高橋歩と飲んでいた時期があって。高橋歩は当時の90年代的な空気とは全く違う価値観で生きていて、知識人からは評価されていなかったけれど、飲んでいると面白いやつで。ある時、高橋歩に「西麻布に隠れ家的なバーを作ったから来てください」って言われて、行ってみたら古着屋の兄ちゃんみたいなのがいて、自分はダンサーだって言うんです。「俺も生まれ変わったらダンサーになりたいよ。ライターなんてやるもんじゃない」なんて愚痴っていたら、彼は「俺、中森さんの文章のバックで踊りますよ!」ってクサいことを言う。でも、嬉しいことを言ってくれるなぁと思って、一緒に朝まで飲み明かして。その翌日、二日酔いで起きてパッとテレビを付けてみたら、『ミュージックステーション』の年末スペシャルでその彼が踊っていたんです。「え!?」と思って、前日に彼からもらったメモを見たら「EXILE ÜSA」って書いてあって。

ーーめちゃくちゃÜSAさんらしい、素敵なエピソードですね(笑)。そういう交流がたくさん生まれるのは、なぜだと思いますか。

中森:自分で言うのもなんだけれど、年下の人には優しいタイプかもしれません。この本を読んだらわかると思いますが、新人類と呼ばれていた頃はパワハラとか当たり前でめちゃくちゃだったんです。だからこそ、自分はああいう風にはしないようにしようと思って、年下の人には優しくするように意識しています。あと、偉くなりすぎないようにするのが大事かなと。偉くなっちゃうと、気軽に飲みにも誘ってもらえなくなりますから。最近だと、映画関係の人たちと飲みにいくケースが増えましたね。昔は編集者が出版パーティーの二次会をパパッと仕切ったりしたものだけれど、今は出版界で飲む文化がなくなってしまった。それはそれで良いと思うんですけれど、映画は現場があるからまだ飲む文化が残っているんです。で、トークショーとかやった後に、息子ぐらいの年齢の若手と一緒に安い居酒屋になだれ込んで朝まで飲んで、センター街でラーメン食べて、最後に路上で円陣を組んで映画のタイトルを叫んだりするの。もう最悪でしょう(笑)。“青い秋”ってそういうことなんです。

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