藤津亮太が語る、2010年代のアニメ評論「回答を作品の中に探していく」

藤津亮太が語る、2010年代のアニメ評論

辛口記事は絶賛記事よりも大変

――藤津さんの評論のもう一つの大きな方針に、辛口批評はしないというのがあります。

藤津:辛口批評の魅力もわかるります。読んで頷くことも多いです。でも、僕がやらない一番の理由は、ネガティブな評価は誤読が許されないからです。でも一度観ただけの人間が、3年かけて出来上がった作品を作ってきた人に対して誤読しないのかと言われたら、僕はちょっと自信がないし、怖いなと思うんです。だから、もしわからない部分があれば、なぜわからなかったのかを書くようにしています。そうやって作品の細部を改めて観ていけば、良し悪しは別にして、この作品はこういう狙いなんじゃないか、ということは書けると思うんですよね。

――僕も批判記事はあまり書きませんが、書くとしたら絶賛記事の5倍くらい労力をかけなきゃいけないだろうと思っています。

藤津:そうなんですよ。まずしっかり裏を取らないといけませんから。もちろん作中で描かれたことが倫理的に間違っていると書くのはシンプルですけど、いろんな可能性を想定していくと、作品として出来が悪いことをロジカルに書くのは実はすごく難しい。それと、最初に観た時に面白くないと思っても、後から自分の中で評価が変わる体験をしているというのもあります。僕は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を公開当時観た時、実はガッカリしたんです。でも、この仕事を始めた初期の頃に『逆襲のシャア』について自由に書いて良いと言われて、その時にLDで10回続けて見直してみたら、改めて発見したことがあって、それで評価が変わったんです。そういう体験をしているので、公開当時に第一印象で成績表つけて、その点数を絶対評価のようにずっと言い続けていくのも空しいと思うんです。それに、一つの価値観・基準を強く打ち出してしまうことで、他の視点を殺すこともあるかもしれない。というようないくつかの理由で、辛口批評は避けています。

アニメを言葉でつかまえる難しさ

――本書の「はじめに」でも「アニメを言葉でつかまえてみたい」と書かれています。しかし、例えば、『海獣の子供』のような作品を言葉でつかまえるのは極めて困難だと思うのですが、ああいうタイプの作品について書く時は何か気を配ることはありますか。

藤津:あの映画の中で何が起きているのかの謎解きが一番大事じゃないと思うんです。作り手は、あれが謎であってもいいと思ってやっているわけでしょうから、『海獣の子供』については「クライマックスがわからなくてもいい」という作りになっているのはなぜかと考えればいいと思います。もちろん、きっとあの映画も1コマずつ観れば全ての意味を解読できると思うんですが、映画館で限られた回数見ただけでは、それはできませんよね。じゃあ、わからないものをあんなに時間をかけて描いたのはなぜなのかについて書くという感じでしょうか。作品にもわかった方がいい謎と、わからなくてもいい謎があると思います。

――藤津さんは、アニメについての原稿で実写映画や小説、詩などアニメ作品以外の引用もたくさんしますよね。これは意識してそうしているのですか。

藤津:こういうタイプの原稿を書こうと思ったのは、高校時代に『キネマ旬報』を読んでいた体験がベースにあります。そこでも読み物っぽい原稿が好きでした。「キネ旬」の読者投稿に投稿していたこともあります。全然ダメでしたが(笑)。それと、引用する場合は、できるだけもとの作品から遠いところから探してきて、そこに共通点を見いだせれば、伝えたいことの普遍性が増すと思ってやっています。

――僕が藤津さんの原稿で一番好きなのは、『アニメ評論家宣言』所収の『∀ガンダム(ターンエーガンダム)』についてのもので、映画監督のロン・ハワードについてかなり文字数を割いているんですよね。まさか『∀ガンダム』について語るためにロン・ハワードを出してくるとは思ってなかったんですけど、これが意外なほど納得感がありました。

藤津:『はるかなる大地へ』と『∀ガンダム』を並べた原稿ですね。あの原稿は僕も好きです(笑)。特に2000年代の頃は、できるだけ突飛な、あまり人が書いていないような原稿を書いてやろうって思っていたので。でも、そういう引用が、単なるギミックではなく、作品の芯に届く形で書けていると思います。

――藤津さんがアニメ評論の仕事を始められた時と現代では、アニメを取り巻く社会の状況もメディア環境もかなり変わったと思います。そういう意味でアニメ評論の仕事の難しさに変化はありましたか。

藤津:基本的な難しさは変わらないです。今はいろんな媒体があり、いろんな人がアニメについての記事を読むようになって、環境的にはむしろやりやすくなってきていると思います。

――さきほどの話と若干重複しますが、いろんな人がいろんなことを言える時代になり、ノイズが増えてやりにくくなったりもしていませんか。

藤津:意見がいっぱいあるのはいいことです。僕はそれがそもそも少ない時から時評の連載をやっているので、そこは比較的肯定的です。それよりもアニメ評論の難しさは、作品のコアをどう見つけるかということにありますから。すぐに思いつく時もあれば、そうでない時もあるので、周囲の意見の多寡に関わらずそこは相変わらず大変、という感じです。

――映像を言葉で捕まえる作業はそもそも難しいことですが、僕自身完璧にできたなという実感はいつもないのですけど、藤津さんはどうですか。

藤津:僕もそこは上手くできたなって実感はいつもなくて、「とりあえず読みにくくない程度には書けたかな」くらいですね。ただ、言葉にすることで漠然としていたものを他者と共有できるようになったり、別の作品を観る時に、その時考えたことが役に立つ時が必ずあるんです。評論家じゃなくても、一般のファンにとってもそれは同じことだと思いますし、言葉にしておいた方がいいことがたくさんあるので、頑張るかという感じですね(笑)。まあ、満足に書けた時に地味な達成感はもちろん感じてはいますけれど。

――小さい山を登りきったな、くらいの満足感ですかね。

藤津:そうですね。こういう取材で何のアニメが好きかと聞かれることも多いんですが、僕は特定のアニメが好きである以前に、アニメという山の形を知りたくてこの仕事を続けているので、こうしてずっと続けてこられたのは本当にありがたいことです。これからもできる限り時評を書き続けられればと思っています。

(取材・文=杉本穂高)

■書籍情報
『ぼくらがアニメを見る理由ーー2010年代アニメ時評』
藤津亮太 著
発売/発行=フィルムアート社
価格:本体2,400円+税
フィルムアート社 公式サイト:http://filmart.co.jp/books/manga_anime/bokuani_fujitu/

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