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ニューヨーク・パンクの創始者のひとりであり、かつての恋人パティ・スミスに「白鳥のうなじを持つ男」と称されたトム・ヴァーレイン。ヴァーレインとは芸名であり、フランスの詩人ヴェルレーヌを英語読みしたものだ。このエピソードが示すように、ヴァーレインのロックには、「パンク」という言葉の一般的イメージには似つかわしくない知的で繊細で文学的な香りがあった。そしてそれは、当時若年層の失業率が10%を越える不況というのっぴきならない現場から生まれたロンドン・パンクに対して、ニューヨーク・パンクがどこかサロン的な空気を漂わせていたことと共通しているように思える。
49年にニュージャージーで生まれたトムは68年に高校時代の友人ビリー・フィッカ(dr)とともにニューヨークに移り、やはり高校の友人だったリチャード・ヘル(b、vo)のアパートに転がり込む。この3人にリチャード・ロイド(g)が加わって73年に結成されたのがテレヴィジョンである。74年に初ステージを踏み、たちまちニューヨーク中の評判になる。その後もブライアン・イーノやアラン・レイニアのプロデュースでメジャー・デビュー寸前まで行くも合意には至らず、結局75年4月にヘルが脱退する。いつまでも進歩しないヘルのベース・プレイに怒ったトムによる馘首だったようだが、このあたりに、正統的なミュージシャンを目指していたトムのオーソドックスなアーティスト志向と、ヘタであろうがリアルで個性的であればいいというヘルの、言ってみれば後にロンドンに渡って定着したストリート・パンクの理念の、鮮明なちがいが見いだせる。
ヘルの後釜にフレッド・スミスを迎えたテレヴィジョンの歩みや功績はここで説明するまでもないが、冷たい炎のような奇跡的なテンションと美しさに彩られた2枚のアルバムは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやドアーズの何枚かと並ぶ、いまもって語り継がれる永遠不変のマスターピースである。なおトムが「ドアーズが所属していた<エレクトラ>と契約したい」と言い張り、その通り<エレクトラ>と契約した話は有名だ。
だがテレヴィジョンは2ndアルバム発表直後の78年8月、突然の解散を表明する。その後トムはソロとして何枚もの傑作を送り出し、92年にはテレヴィジョンを再結成して通算3枚目のアルバムも制作する。だがその後は、パティ・スミスのアルバムやツアーに参加したほかはこれといった活動も伝えられず、長い沈黙期間に入っている。
ヴェルヴェッツやドアーズらの系譜を辿ってテレヴィジョンやパティ・スミスらニューヨーク・パンク組が生まれ、そのあとをたぐるようにR.E.M.やソニック・ユースなどがあとを継ぎ、そのまたあとをニルヴァーナなどが襲っていく、アメリカのロック裏街道の歴史の伝統。その中興の祖として、テレヴィジョン及びヴァーレインの名は永遠に消えることはないはずだ。 (小野島 大)

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