Prince Busterの記事一覧

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アマチュア・ボクサーだった彼はそのスゴ腕を買われ、スカ誕生前夜のキングストンに巻き起こったサウンド・システム(野外ディスコ)・ブームのただ中、もっとも隆盛を極めたコクソン・ドット率いる"ダウン・ビート"で用心棒として活躍していた。街中で繰り広げられる夜ごとのダンス・クレイズに、当然ケンカはつきもの。ライバルのサウンド・システムからのいやがらせや客同士のもめ事に、モハメド・アリのスパークリングを務めたこともあるといわれるバスターのパンチが炸裂! 今でも当時こしらえた傷が勲章のように残っているらしい。おかげで、コクソンのサウンド・システムはその地位を不動のものにしたとか、しないとか。
そんな番長ぶりを発揮し、やがて自らのレーベル兼レコード・ショップ<ヴォイス・オブ・ザ・ピープル>を設立。シンガーまた、優れたプロデューサーとして辣腕をふるい、スカという新しい音楽の形成に一役買うこととなるのだ。初期のプロデュース作品で最も有名なシングル「Oh Carolina」は、ジャマイカ民謡とも言えるメントをスカ風にアレンジしたフォークス・ブラザーズのもの。他にも、トゥーツ&ザ・メイタルズなどをプロデュースする傍ら、自分名義のシングルも大量にリリースされたが、それらはイギリスでも<ブルー・ビート・レーベル>を通してディストリビュートされていた。それに飛びついたのが在イギリスのジャマイカ移民と、当時ロンドンを中心に一世を風靡していたモッズの連中だった。彼らは大ヒットしたシングル「Al Capone」「Madness」などの根底に流れるバスターの男気、ルーディを気取ったヴァイオレンスのムードに熱狂した。
60年代半ばにはTV番組『レディ・ステディ・ゴー』にも出演、後の2トーン・スカ・ブーム時代に、スペシャルズ、そしてそのものズバリ、マッドネスからカヴァーされたことからも、バスターのイギリスにおける人気のほどが窺える。

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