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NHKで楽曲をかけることはおろか、その名を口に出すこともできないバンドがあるのをご存知だろうか?
村八分。日本のロック史を語る上で絶対欠かすことのできない伝説的、というよりいまや神話的存在に近いこのバンドは、歌詞の内容はもちろんそのバンド名自体が放送自粛用語になっているという、反権威・反権力・反道徳を地でいくような「ヤバい」バンドだった。揉み手をしてNHKのオーディションを受け、企業CFソングを嬉々として作る自称「ロック」アーティストが氾濫する現在、ロックがこのうえなく危険で、常識的なオトナたちに忌み嫌われていたからこそ、一部の先鋭的な若者たちの熱狂的な支持を受けていた時代ははるかに遠くなっているが、村八分こそはそうした時代のロックの象徴であった。
山口富士夫は、村八分の最重要メンバーであり、当時も、そしていまも日本屈指のロックンロール・ギタリストのひとりである。キャッチーなリフ作りのうまさでこの人に並ぶ者は一人もいない。プレイ・スタイル、ライフ・スタイルも含めた存在感の大きさと影響力も、群を抜く。「ロックは不良の音楽だ」というカビのはえたお題目が、少しも色あせることなくこれほど似合う男もいないだろう。
玄人受けする実力派GS(グループ・サウンズ)として知られたダイナマイツのギタリストとして山口が頭角をあらわしはじめたのが67〜68年のこと。68年にはデビュー・アルバムを発表したが翌年暮れに解散、70年、チャー坊こと柴田和志(vo)と出会って結成されたのが村八分である。
村八分の活動期間は4年ほど。その間に発表したのはわずかライヴ盤1枚に過ぎない。しかしストーンズ直系のロックンロールの抜群のノリの良さは当時の日本のバンドとしては画期的だったし、チャー坊のカリスマチックなヴォーカル・スタイルと、ドラッグ・カルチャーの色濃い影を感じさせる歌詞も個性的であり、なにより山口の抜群にリズムの切れるギター・ワークは、鮮烈だった。英米の物まねの段階をようやく脱し、独自のオリジナリティを追求する初段階だった当時の日本ロックにおいて、それをはるかに飛び越え、英米の一流どころと完全に肩を並べる存在が、村八分だったのだ。なによりその徹底してロックな生きざま、たたずまいは、どこか学生っぽい甘さが漂っていた同時代の日本のミュージシャンと比べても、そのまがまがしい存在感が圧倒的に際だっていた。
村八分は73年に解散。山口は加部正義(後にジョニー・ルイス&チャー)らとリゾートというバンドを組むが数回のライヴで解散、その後ソロ・アルバムを出したり79年に1回だけの村八分再結成ライヴに参加したりするが、80年代半ばにようやくパーマネントなバンド、ティアドロップスを結成。メジャー契約してコンスタントな活動を続けるが、近年はまた沈黙を守っている。復活が待たれる大物のひとりである。 (小野島 大)

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