滝沢秀明、“小さなジャニーさん”として継承したジャニーズイズム 後輩の育成に尽力した功績を振り返る

 10月31日に報じられた突然の知らせに暫く言葉を失った。滝沢秀明が9月26日付でジャニーズJr.の発掘や育成、プロデュースを手がけるジャニーズアイランドの社長を退任、10月末にはジャニーズ事務所副社長も退いた。本稿ではジャニー喜多川氏の遺志を受け継ぎ、後輩の育成に尽力した滝沢の功績について考察してみたい。

ジャニーズJr.黄金期をけん引した存在感と統率力

 滝沢は1995年にジャニーズ事務所に入所すると、嵐や関ジャニ∞のメンバーをはじめ、生田斗真、山下智久、風間俊介らが顔を揃えたいわゆる“黄金期”のジャニーズJr.をけん引。当時その人気は「東のタッキー」「西のすばる(渋谷すばる)」と称され、デビュー前のジャニーズJr.だけで単独公演を成功させるなど数々の伝説を残した。またジャニーズJr.を集めたバラエティ番組では、デビュー前にも関わらず司会を担うなど才能を開花させていった。

 2002年に今井翼とのユニット タッキー&翼としてデビュー後は数々のヒット曲を携え、国民的アイドルとして活躍。またアイドルとしてだけでなく、俳優としても数々のドラマ、映画で多彩な才能を発揮した。故ジャニー喜多川氏が滝沢のための舞台として手がけた『滝沢演舞城』を、自身が演出を手がける『滝沢歌舞伎』に進化させたことでも知られている。また同作はジャニー氏の理想とした和のテイストを取り入れたエンターテインメントを極めたと同時に、数多くのジャニーズJr.の登竜門としても広く認知されていくことになる。

“小さなジャニーさん”としてジャニーズイズムを継承

 2018年9月にタッキー&翼が解散すると、滝沢自身も表舞台を退き、ジャニー喜多川氏のもとでジャニーズJr.の発掘や育成、舞台やライブの演出などプロデューサーとして研鑽を積んでいた。現役引退に際し、インタビューで「これまでと逆の立場になることを考えると、生半可に人の人生を扱えないと思った」と告白し決意の強さを窺わせていた(※1)。師と仰いだジャニー氏亡き後は、ジャニーズイズムの継承者としてファンからは“小さなジャニーさん”と呼ばれ親しまれていた。

 プロデューサーとしての滝沢の手腕に着目してみると、筆頭にあげられるのはSixTONES、Snow Manにまつわるプロモーションだろう。デビュー前、YouTubeの「アーティストプロモ」キャンペーンに抜てきされたSixTONESの活動の一環として制作した楽曲「JAPONICA STYLE」は「ジャニーズをデジタルに放つ新世代。」としてプロモーションを展開。滝氏は同曲のMVのプロデュースを担当し、和を取り入れた妖艶な衣装と演出はジャニーズファン以外からも大きな注目を集め、彼の才能は多くの人の知るところとなった。

SixTONES - JAPONICA STYLE

 また自身が大切にしてきた舞台『滝沢歌舞伎』は『滝沢歌舞伎 ZERO』として昇華させ、Snow Manに委ねた。コロナ禍にあっても同舞台を映画化し『滝沢歌舞伎 ZERO 2020 The Movie』として全国ロードショーを実現。ライブや舞台の開催が難しい時期も、全国のファンに寄り添った。

 2019年にはジャニー氏が作・構成・演出を手がける舞台『DREAM BOY』『ABC座 ジャニーズ伝説2019』『少年たち To be!』で演出補佐を務め、ジャニー氏に代わって陣頭指揮をとった。また2022年に演出した『JOHNNYS' IsLAND THE NEW WORLD』は出演する68人のジャニーズJr.が全員座長というサプライズで、ファンやマスコミを驚かせたことも印象的だった。

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