TohjiとLoota、コラボ作『KUUGA』の異質さとは何なのか 意表を突く表現の尖り

 モチーフやレトリックから醸し出されるそんな印象は、タイムライン上でカットアップ&再配置され、またオートチューンで変調されたラッパーたちの身体としての声がもたらす印象ときわめて似通っている。そう考え出すと、押韻というよりも言葉遊びに近づいていく(そういえば「Oni」ではTohjiが「鬼さんこちら」を、Lootaが「Eeny, meeny, miny, moe…」を引用して、文字通りわらべ唄や言葉遊びに興じている)ようなふたりのラップも、言葉で遊ぶというよりも、まるで言葉が勝手に遊びはじめているように思えてくる。さながらビートはリリックのなかで言及される人気のない工場や廃墟のようにその場に佇んで、薄暗い時間のなかにつかのま遊び場を提供しているかのようだ。

 『KUUGA』はかように異形の作品なのだが、しかしLootaやTohjiの近作をたどり直してみれば、別に唐突にあらわれたものではない。Lootaのシングル『Sheep / Melting Ice』(2021年)やTohjiの「プロペラ *i feel ima propella "she" she wanna hit」「Oreo」(共に2020年)ではどんどんアブストラクトになっていく声の姿を聴き取ることができる。ウィスパーであったり、不明瞭であったり、ファルセットであったり、あるいはヨーデルのようであったりする発声を駆使しながら、言葉を紡ぐというよりは声を発してある種の感覚というか手触りを表現していくのだ。

 とりわけTohjiはもともと、特徴的な言語センスでとてつもなくキャッチーなパンチラインを連発する一方で、ラップする声の幅広さと発声の異様さという点で抜きん出たところがあったように思う。2019年のミックステープ『angel』はそうした声の操り手としての魅力がつまった作品だった。

 そうした両者のクリエイティブな方向性が見事に噛み合ったのが本作だと言えるだろう。その意味で『KUUGA』はたしかに各々の表現の延長線上にある――ただし、予想だにしなかったような響きを伴ってもいる。この作品がいわゆる「名盤」とか「傑作」と評価されるようになるかは後世が判断することだろうが、一度でも聴いて、しっかりと記憶に留める価値のあるものであることは間違いない。

■imdkm
1989年生まれ。山形県出身。ライター、批評家。ダンスミュージックを愛好し制作もする立場から、現代のポップミュージックについて考察する。著書に『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint、2019年)。ウェブサイト:imdkm.com:http://imdkm.com/

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