杏沙子が作り上げた、“みんなで一緒に”楽しめる配信ライブ メンバー、ファン全員と分かち合った喜びと安心感

杏沙子、ONLINEワンマン徹底レポ

 始まりからノリのいい曲が続いたが、ここでトーンを変えて『ノーメイク、ストーリー』のなかでも杏沙子自身がとりわけ気に入っていると言っていた「クレンジング」へ。それまでと違い、彼女はマイクに向かって丁寧に感情を乗せていく。照明が落ち、ブルーな夜の雰囲気。Aメロ、Bメロ、サビと進むなかで、杏沙子のボーカルは抑揚がつく。切迫感を表わした次の瞬間には、抑えながらしっとりと。その押し引きが見事だ。暗いなか、後ろからライトがあたり、たゆたうような演奏のムードもあってそこは水槽のなかのよう。鍵盤ハーモニカを杏沙子が吹き、『ノーメイク、ストーリー』収録曲「outro」にも近い雰囲気の長めの後奏が深い余韻を残した。

 弾けた前半のトーンとはすっかり変わって、静けさがその場所を包んでいる。椅子に座った杏沙子がこう話す。「次に歌う曲は私がインディーズのときに作った曲です。今日の12曲のなかだと一番古い曲ですね。今回みんなに12曲選んでもらいましたが、正直、入るとは思ってなくて、すごくびっくりしたし嬉しかった」「最近は大切だからこそ会わないという選択をしたりすることがあったりすると思うけど、でも会わないからこそちゃんと言葉で“大切だよ”“大好きだよ”って伝えていきたいなと、最近すごく思ってます」。歌われたのは『フェルマータ』収録の「おやすみ」だ。杏沙子は目をつぶってアカペラで歌いだし、そして彼女がもっとも信頼するミュージシャンのひとりでもあるバンマス・山本隆二のピアノが繊細に入る。山本と杏沙子ふたりだけの深みと奥行きある表現。感情を込めた杏沙子の歌は、曲の終盤で声が掠れたとき、切なさがいっそうのものとなった。

 森本がアコギを爪弾き、切ないトーンはそのままに始まったのが8曲目「見る目ないなぁ」だ。いまにも泣き出しそうな歌声に思わずこっちも、もらいそうになる。因みにファン投票によるランキングで堂々1位に輝いたのがこの曲だったそうだが、それも納得。「この気持ち、わかりすぎる」「自分の経験が歌われてるみたい」と思ったひとは本当に多かったに違いない。切ない曲はさらに続く。『フェルマータ』の最後に入っていた「とっとりのうた」。目をつぶり、恐らくは生まれ故郷の景色を思い浮かべながら歌っている杏沙子。実にエモーショナル。後奏で彼女が鍵盤ハーモニカを吹くと、郷愁が押し寄せた。

 ここで、このオンラインライブをやることになった理由、意味、思いを、杏沙子が丁寧に話し出した。「3月のワンマンライブが延期、延期になって、こういう配信の形になりました。最初はみんなの顔を見ながら歌えないのかと思ってすごく悔しかったんですけど、でも配信ライブをさせてもらうことになって、悔しいという気持ちでは絶対にやりたくないと思ったんですね。じゃあ配信じゃなきゃできないことをしよう。この形でできて本当によかったと私も心から思えて、画面の前のあなたにも思ってもらえるライブにしようって、そう思って今回このライブを作っていきました」。そして、「最近はいろいろと悔しいこと、もどかしいこと、悲しいことが目についてしまうけど、こうなったからこそ気づけたことだったり、こんなこともできるのかという発見だったりがあるので、それに目を向けていきたいと思ってます。たくさん降る雨のなかでも、晴れ間を見つけて笑っていきたい。天気雨みたいにね。じゃあ一緒に歌おう!。森本カモーン!」。そう言って再び笑顔を取り戻し、「天気雨の中の私たち」を軽やかに。画面のこっち側に向かって手を振りながら。手を振ったよね、みんな。振るでしょ、そりゃ。だって杏沙子はそうやって画面の向こうのひとりひとりに歌いかけていたのだから。〈明日きっときみの笑顔が もっと近くにあるのならいいな〉って、繋がっていることを確信しながら高らかに歌っていたのだから。

 ドラム・柏倉の「ワン・トゥー・スリー」というカウントで鮮やかに始まったのは、彼女が『ノーメイク、ストーリー』で本当の自分を曝け出すきっかけにもなったシングル曲「ファーストフライト」だ。その疾走感と、腕利きミュージシャンたちが生み出すグルーブにたちまち引き込まれる。〈飛べるか? まだ飛べるか?〉と自分自身に問いかけることで歌は強さを増していき、そして〈風は吹く とめどなく吹くけれど この空は美しい〉という希望及び確信へと向かっていく。長めの間奏部分ではドラムソロ→ベースソロ→鍵盤ソロ→ギターソロとメンバーそれぞれの見せ場もあり、杏沙子含めた5人が一緒になってひとつの限界を突破しようとしていることが伝わってきた。いまがこんなにたいへんな世界でも、こんなにキツい社会でも、新しい景色が必ずや待っていると自分だけは信じてる、信じたい、信じて進もう。そういう思いが力強い歌唱からビンビン伝わった。

 「さあさあ、次で最後の曲です。画面の前にいるあなたにいつ会えるかまだわからないけど、でも大丈夫。絶対に会える日が戻ってくるし、会いに行くから。それに既に会えてること。それがもう大正解だから!」。そう言って最後に歌ったのは「こっちがいい」だった。画面のこっちと、メンバーたちの顔を順に見て、そうやってみんなでこのライブを作っているんだという喜びとか安心感とかを持って杏沙子は歌っているようだ。それを見ながら、出会ったことの大正解を自分含めたみんなが感じたはずである。「次会うときは、絶対、笑顔で会いましょう!」。そうメッセージしたあと、彼女は最後にこの日一番高いジャンプをきめてライブを終えたのだった。

 全12曲。まるで現時点でのベスト盤みたいなセットリスト。勢いよく疾走したかと思えばスピード落としてゆったり味わわせる時間もあり、まさしくこの日のオープナーのタイトルじゃないがジェットコースターのような緩急ある約1時間半だった。弾けっぷりのいい杏沙子と切ない曲を歌う杏沙子、その両方とそれだけじゃない杏沙子をそのなかで存分に感じることができた。いい時間だったし、いろんな意味での正解がそこにあった。いつか会場でおもいっきり笑顔になれるその日まで、このライブのことは忘れないようにしよう。

■配信ライブ情報
公演タイトル:杏沙子 ONLINEワンマン 「フェルマータ、ストーリー ~21分の12~」
URL
販売期間:~10/4(日)21:00
アーカイブ配信:~2020/10/4(日)23:59
追加アーカイブ販売:2020/10/5(月)10:00~10 /11(日)23:59

「杏沙子 ONLINEワンマン 「フェルマータ、ストーリー ~21分の12~」セットリスト

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「ライブ評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる