角松敏生ワークスの名曲コンパイル集がチャートイン “ディガーの精神”に訴えかけるプロダクションの歴史的意味

 とはいえ、自分がこうした角松敏生のシグネチャーと言うべきサウンドにこうして(ある種非歴史的な態度で)接することができるのも、2000年代末から2010年代を通じて培われてきた感性によるものが大きい、ということも認めざるを得ない。言ってみれば、DJやコアなリスナーを中心としたディガー、とりわけリアルタイムで80年代や90年代の角松の仕事に触れたわけではない(触れていても、少なくともそれと意識してはいない)若い世代からの再評価なしには、この独特なハイファイさやリバーブ感に向き合うことはなかったように思う。「DIGGER」という語をタイトルに掲げた(もちろん角松の1985年作『GOLD DIGGER 〜with true love〜』をふまえたネーミングである)このコンピレーションは、意図せざるものかもしれないが、そこによくフィットしているように思えてならない。

 自分は決していわゆるディガーではないし、かつてそうだったこともない。としても、ディグの精神に突き動かされてきたリスナーのつくりあげた価値観に深く影響されている。たとえば、『GOOD DIGGER』を再生しながらそのサウンドに聴き惚れるとともに、「ああ、再生速度落としたいな……」と思ってしまうのは、そのひとつの片鱗かもしれない。ディガーというのはレコードに、あるいはその作り手に対して最大限の敬意を示しつつも、しばしば不実な存在でもある。思うままサンプリングしたり、リエディットしたり、あるいはそうした技術的な操作を加えなくとも、変わった視点から作品に耳を傾けてみたり。そこには常にレコードというメディウムを介した、送り手と受け手のあいだのすれ違いが潜在している。だからこそ、新たな光を当てた再評価が成立する。

 『GOOD DIGGER』のリリースに寄せたコメントで角松は、このコンピレーションが自分の仕事の「歴史的意味を継承することができるなら、そしてそれが未来の役立てに少しでもなるなら」と希望を託している。だからやはり、否が応でも、敬意と不実さの入り交じるディガーの美学が作り出す(少なくともその一旦を担う)歴史と未来のアンビバレンスに、思いを馳せずにはいられないのだ。

■imdkm
1989年生まれ。山形県出身。ライター、批評家。ダンスミュージックを愛好し制作もする立場から、現代のポップミュージックについて考察する。著書に『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint、2019年)。ウェブサイト:imdkm.com

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