中森明菜はなぜ「かけがえのない存在」であり続けるのか 小倉ヲージ氏の証言とともにライブ映像を振り返る

 歌姫・中森明菜がワーナー在籍時におこなったライブのフル映像が無料配信され、話題を集めている。ワーナーミュージック・ジャパンのYouTubeチャンネルで公開されているのが、『Live in '87 - A HUNDRED days』、『~夢~'91 AKINA NAKAMORI Special Live』、『中森明菜イースト・ライヴ インデックス23』、『ビター&スウィート(1985サマー・ツアー)』の計4本だ。

 これらの映像を観てふと思ったことがある。それは、中森をよく知らない若い世代にライブ映像を鑑賞してもらい、「彼女はアイドルなんだよ」と言ったら何人がそれを信じるか、ということだ。『ビター&スウィート(1985サマー・ツアー)』のとき、中森はまだ二十歳。しかしその振る舞いはすでに貫禄十分。そして何より、圧倒的なその歌声。この映像を今観ると、おおよそのアイドル像とはかけ離れているように感じる。

 中森明菜はなぜ40年近くにわたって人々を魅力し続けているのか。中森明菜を知らない世代は、彼女のどんなところを見れば良いか。さまざまな資料や証言も交えて考察していく。

中森明菜「ビター&スウィート(1985サマー・ツアー)」【フル】 AKINA NAKAMORI / BITTER & SWEET 1985 SUMMER TOUR

アイドルでありながら〈私は泣いたことがない〉と歌う

中森明菜『ベスト・コレクション 〜ラブ・ソングス&ポップ・ソングス〜』

 はじめに、中森のプロフィールを振り返ろう。1965年生まれの彼女は、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)の本選に3度挑戦したのち、デビューの切符をつかむ(ちなみに本選最高の392点を叩き出す)。1982年、シングル『スローモーション』でデビューし、以降は「少女A」「セカンド・ラブ」「DESIRE -情熱-」などヒット曲を連発。一方、1989年には恋人・近藤真彦が住むマンションで自殺未遂。日本中に衝撃が走った。日本の歌謡界屈指の歌姫でありながら、どこか危うさがあり、波乱万丈な面もあった。そのほか女優としても活躍し、映画『愛・旅立ち』(1985年)、ドラマ『素顔のままで』(1992年/フジテレビ系)などに出演している。

中森明菜「少女A」
中森明菜「セカンド・ラブ」
中森明菜「DESIRE -情熱-」

 近年は、アルバムリリースなどはあるもののメディア出演は控えていることから、生きる伝説化しつつある。「名前は聞いたことがあるけど、歌っているところは知らない」という10代、20代は多いはず。

 まず「中森明菜はアイドルだった」という驚きについて語ってみたい。書籍『中森明菜 心の履歴書ーー不器用だから、いつもひとりぼっち』(1994年)では、中森は「かわいいだけのアイドルたちと違い、悲しい目を持ったこの少女は、異色で、他者とは圧倒的に違う存在感を放っていた」と評されている。

 同期のアイドルには小泉今日子、石川秀美、早見優、堀ちえみらスターが揃っており、「花の82年組」と呼ばれた。しかし、「大人びた雰囲気でスローな曲をうたう明菜はすでに異彩を放っていた。まわりのペースに浮き足だたず、最初から独自の路線をしっかり歩き出したことは、その後の大ヒットを見れば結果的に正解だったと言える」(『中森明菜 心の履歴書ーー不器用だから、いつもひとりぼっち』)と明らかに一線を画していたという。

 現在のアイドルに置き換えて考えてみたい。たとえば「涙」をテーマにした曲を今のアイドルが歌うなら、曲内容は「流した涙の分だけ強くなる」みたいなものが大半だ。松浦亜弥のヒット曲「LOVE涙色」(2001年)であれば、〈泣いても泣いても止まらない〉と泣きじゃくっている。でも、そのか弱さがいかにもアイドルっぽい。アイドルは涙を流してナンボ。その涙がメッセージ性を帯びて、ファンもグッとくる。

 ところが中森明菜は、1984年にリリースした「飾りじゃないのよ涙は」(井上陽水作詞作曲)で、いきなり〈私は泣いたことがない〉と歌い出すのだ。「人生何周目ですか?」と尋ねたくなるような強烈な一節。さらに同曲は〈私泣いたりするのは違うと感じてた〉と重ねていく。アイドルソングとして聴くとかなり面食らう。

中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」

 もちろん、ライブや言動を見ると中森がとても感情豊かな人であることは分かる。時にはステージでも感極まって涙も浮かべる。それでも、彼女は若くして妙な落ち着きを漂わせていた。いろんな物事を悟っているかのような、深い落ち着きだ。それが「大人びた雰囲気」につながっているのだろう。

ほかのアイドルが持ち合わせない唯一無二性

 書籍『中森明菜 歌謡曲の終幕』(1996年)で著者の平岡正明は、中森について「中森明菜ほどリアリストの少女歌手なんて見たこともきいたこともない」「夢がない。甘えがない。神秘がない。メルヘンがない。テーマがない。この年齢の少女によく見られる砂糖菓子のようなミスティフィケーションがこれっぽっちもなくて、この娘は夜は屑鉄のように眠って夢も見ないのではないかと思うほどだ」と持ち味を並び立てている。

 中森自身、常に現実を噛み締めながら活動していた。デビュー間もない時期に出版した自著『本気だよ 菜の詩・17歳』(1983年)で、自分が人々の記憶から忘れ去られることをいつも考えていることを明かしている。

「もし人気がまったくなくなっちゃったときに、まだ未練たっぷりでいたらショックでしょう。だからもう明日にでもダメになるんじゃないかナ、っていつも考えるようにしてるんです。そうすれば、人気が落ちたんだっていう事実を冷静に受けとめられると思うんですね」(『本気だよ 菜の詩・17歳』)

 一方で「自分をけなしていないと怖くてしかたがないんですよ。あとで落とし穴が待っているような気がしてね」(『本気だよ 菜の詩・17歳』)と、冷静さのなかに弱さと不安もひそんでいた。

 アイドル特有のキラキラした無邪気さは確かに薄いかもしれない。でもその分、ほかのアイドルが持ち合わせていない現実的なまなざし、そこから生まれる唯一無二性がほとばしっていた。

中森明菜「Live in '87 - A HUNDRED days」【フル】 AKINA NAKAMORI

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