デビュー30周年の鈴木彩子、ありのままを貫く生き様 アーティストとフラワーデザイナーを両立しながら歌い続ける理由

鈴木彩子が歌い続ける理由

 18歳でデビューして以降、いじめや戦争への怒り、自然への愛など、“動”と“静”を行き来しながら、強いメッセージを掲げた楽曲を歌ってきた鈴木彩子。このたび、デビュー30周年を迎え、デビューから在籍したビクター時代の代表曲はもちろん、その後のDAIPRO-X〜自主制作でリリースした作品まで、レーベルを越えた全30曲を収録した『ALL TIME BEST ALBUM』を5月27日にリリースすることになった。2枚組で、Disc1は「Passionately」、Disc2は「Softly & Gently」というコンセプトのもと選曲。生産限定盤には、150分を超えるDVDと、本人のコメントと歴史がたっぷり刻まれたブックレットもパッケージされる。

 レーベルや事務所といった環境の変遷、自動車事故での大怪我、改名、そして2017年に自身のフラワーショップをオープンし、アーティストとフラワーデザイナーという二足の草鞋を履く現在に至るまで――紆余曲折の道のりと、それでもありのままの温かさを貫いてきた生き様が、彼女の楽曲には素直に詰まっている。今の時代だからこそ、よりいっそう響くものがあるはずだ。このインタビューからも、それを感じてもらえると思う。(高橋美穂)

デビュー曲「独立戦争」、今も胸に残る高見沢俊彦の言葉

――今作にもカバーが収録されていますが、RADIO SHOPの「VOICE」を中学生の時に地元の宮城県のライブハウスで聴いたことが、アーティストを志したきっかけだそうですね。その時、どんな衝撃を受けたのですか?  

鈴木:細かいところまでは覚えていないんですけど、RADIO SHOPのボーカルの方の歌い方が、お客さん一人ひとりに本当に語り掛けるような感じだったんです。未来は自分で切り開けっていうメッセージが、ダイレクトに伝わってきたんですよね。なので、中学校の時の私は「自分に言われている!」って思って舞い上がって、一緒にライブに行った友達とものまねをしながら、繰り返し歌っているうちに「バンドやろう!」とか「東京行こう!」って思うようになっていったんです。

――ライブハウスに行くくらいだから、そもそも音楽は好きだったんですか?

鈴木:音楽は好きで、友達と好きな歌のカセットテープをイヤホンで聴き合ったりはしていましたけど、RADIO SHOPのライブを観るまでは、まさか、自分が歌うようになるとは思っていませんでした。もともとはスポーツ少女だったんです。小学校の頃から水泳とか陸上をはじめて、中学でバドミントン部に入ったんですけど、全国大会でベスト8に残ったこともあります。

――それは素晴らしいですね! 意外なようでいて、体育会系らしさはシンガーとしての彩子さんにも活きているような気がします。また、今作のブックレットの「道」にまつわるコメントに“中学の時に家出をしようとした”とありますが、幼い頃から独立心は強かったんですか?

鈴木:いや、引っ込み思案でのんびり屋だったんですけど、体が弱かったので水泳をはじめて、そこから徐々に体力も自信も付いて、変わっていったんですよね。バンドを観て憧れて、「東京に行かなきゃ」って思ったんですけど、親はバトミントンをさせたいし、高校も真面目に行かせたい。じゃあ家出だ! って(笑)。甘い考えだったんですけどね。

――そういうお話を聞くと、彩子さんのデビュー曲が「独立戦争」というのは運命的という気がします。改めて、この曲は彩子さんにとってどんな曲なんでしょうか?

鈴木:あの頃は、この曲のテーマが大きすぎるというのもあって、私には理解できていなかったと思うんです。でも、毎回ライブで歌い込んでいくうちに、この曲のすごさが徐々にわかるようになっていって。今の方が「すごい曲だな」と思えます。歌詞が普遍的だから、何度歌っても古くならないんですよね。デビューして少し経って、この曲のメッセージを理解できてからは、プレッシャーになるぐらいでした。

――「独立戦争」は高見沢俊彦さんの作詞作曲ですが、高見沢さんとのやり取りで覚えていることはありますか?

鈴木:そんなに高見沢さんと話し合って作ったわけではなく、高見沢さんが、こんなの歌ったらぴったりくるんじゃないかって作ってくださったと思うんです。ただ、高見沢さんのラジオに出させていただいた時に、ブックレットにも書いたんですけど、山登りの話(「音楽活動も人生も山登りみたいなもの。一直線に登れば、早く頂上に辿り着くけれど、ぐるぐる円を描くように登れば、時間はかかるけれど、それだけ多くの景色が見られるよ」)をしていただいたことが、印象に残っています。私は当時10代だったし、なるべく近道で(アーティストの道を)登りたかったし、そんなに苦労したいとは思っていなかったんですけどね。

――だんだん響くようになっていったということですよね。高見沢さん以外にも、「風に吹かれて」の上田知華さんなど、ご自身以外の方が作詞作曲された楽曲も、彩子さんはたくさん歌ってきましたが、そういった楽曲も情感を込めて歌っています。楽曲によって様々だとは思いますが、どう受け止めて歌っているのでしょうか?

鈴木:私のために書いてもらっている曲は、高見沢さんの曲も上田さんの曲も沼倉(隆史)くんの曲も、自分の書いた曲との線引きはないんですよ。私は、曲や詞の世界を表現することが好きなんだと思います。10人歌ったら10人、表現方法は違ってくると思うんです。クラシックでも、何百年も演奏されてきた曲も、指揮者が変わったら全然違う表現になったりしますから。

――歌詞は率直な、等身大なものが多い一方で、曲はハードロック、ファンク、ブルース、フォークなど、大人っぽいものが多いように思います。若かりし頃、どうやって歌いこなしていたのでしょうか? 

鈴木:歌いこなせていたかはわかりませんが……プロデューサーの新田(一郎)さんが、もともとミュージシャンだったので、新田さんが一緒に音楽をされていた大御所の人たちが、私のレコーディングやライブに力を貸してくださっていたんです。それはすごく幸せなことだったと思います。新田さんにはいろんな音楽も教わりましたし、17、18歳の頃にKing CrimsonやPink Floydを聴かされまして(笑)勉強になりましたね。

――生産限定盤に収録されるDVDには、10代の彩子さんが大勢の凄腕のバンドメンバーを背負って歌っている姿も収められていますが、当時プレッシャーを感じたことはありますか。

鈴木:プレッシャーに感じたことはなく、楽しめていました。今、周りは年下のミュージシャンばかりですけど、あの頃はみなさん年上の方ばかりだったので、いろいろ受け止めていただいていました。

――堂々とされているのも彩子さんらしいと思うんですけど、今作のブックレットには「愛があるなら」のコメントに“静と動、そういう表現が好きです”とありますよね。私自身は彩子さんのデビュー当時が鮮烈だったからか、“動”のイメージが強かったんです。そういうパブリックイメージに対するジレンマみたいなものはあったんでしょうか?

鈴木:どんな人でもそうだと思うんですけど、自分の中には激しい部分も穏やかな部分もあって。でも、強いイメージで見られることに対してプレッシャーは特にありませんでしたね。ただ、歌詞が、本当にあったいじめの問題や戦争や自然を守ることをテーマにしているので、それを歌うのに相応しい人にならなければいけないというプレッシャーは確かにありました。聖人にならなきゃいけない、みたいな。私はいつもきれいな心でいなければいけない、一瞬でも悪い心になってはいけないと思っていましたね。

――そういったいじめや戦争というのは、歌詞を書こうとするとどうしても出てきてしまうテーマだったんですか?

鈴木:そうですね。学校ではずっと部活ばかりで、授業中は寝ていて話を聞いていなかったので……(笑)、デビューしてから本や映画を見ていろいろ知って、思ったことを歌詞にすることが多かったんですが、恋愛の歌詞を書きたいとは1ミリも思わなかったんですよね。

――女性アーティストが歌うのは恋愛ソングという傾向は、当時は今より強かったと思うんですが、恋愛の歌詞を書くように言われたりはしなかったんですか?

鈴木:言われたような気もします(笑)。でも、あまり聞いていなかったんでしょうね。

――(笑)。周りの方が、彩子さんの思いを大事にしていたんでしょうね。

鈴木:ほんとにそう思います。ビクターさんを離れた後も、(事務所の)代官山プロダクションを離れた後も、ずっとプロデューサーをしてくれていた新田さんを離れた後も、自分一人になっても恋愛ソングはそんなに書いていないので、自分には恋愛の歌はあまり合わないんでしょうね。

――そういった意味では、ずっとありのままの自分で歌ってこれたっていうことですよね。

鈴木:そうですね。ありがたいです。

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