ホリプロ・堀義貴氏が語る、芸能プロダクションの視点から見たエンタメ業界の実情「第一には経済的にも生命的にも生き残ること」

堀義貴氏

 コロナ禍における音楽文化の現状、そしてこれからについて考えるリアルサウンドの特集企画『「コロナ以降」のカルチャー 音楽の将来のためにできること』。第3回は堀義貴氏(一般社団法人 日本音楽事業者協会会長・株式会社ホリプロ代表取締役社長)へのインタビューを行った。多くのタレントを擁し、音楽以外にも舞台・演劇さまざまな表現方法でエンターテインメントに携わってきた同氏。業界全体が抱えるシビアな現実、その中で生まれた課題を語る中で、エンターテインメントが我々の生活においてどのような役割を果たしてきたのか、その熱い胸の内についても聞くことができた。(5月12日取材/編集部)

コンサート以上に難しい演劇・舞台の再開

ーーホリプロには音楽アーティストはもちろん、俳優、声優、お笑いタレント、スポーツ選手、文化人などさまざまなフィールドで活躍している方々が在籍されています。コロナ禍においてもっとも影響を受けたのはどの分野だと感じていますか。

堀:2月26日の総理の会見(イベント自粛要請)直後はライブエンターテインメントだけだったんですね。しかし、4月7日の緊急事態宣言が出てからは全ジャンルにおいて仕事がほとんどストップしている状況なので、どれがというのはありません。ホリプロでいえば演劇、ミュージカル、舞台製作部門が一番大きな損失を出しています。どんどん公演が中止になりましたから、そこが一番大きいです。

ーー演劇がコンサートと異なるのは、ロングスパンで公演が行われるということです。中止・延期による被害はまたコンサートとは違ったものがあるかと思います。

堀:基本的に演劇で延期ということはあり得ません。だいたい2、3年先の劇場、出演者、スタッフをそれぞれがおさえていますから、コンサートのように半年後に同じ会場、同じ規模で行う調整ができないので中止にするしかない。もう一つ、外国の作品を翻訳上演する場合は、上演する前にあらかじめ収入の前払いをするのですが、その契約は1~2年で切れる。延期するにはまた契約し直さなければならないんです。そのためアドバンス分も損失になると、延期はゼロではなくマイナスからのスタートになる。そう考えると同じことをやるというのは不可能ですよね。

ーーコロナ禍におけるこれまでの流れを振り返り、率直な思いをお聞かせください。

堀:みなさんの中にも現場で働くスタッフ、フリーランス、若いアーティスト、役者、そういう人たちが大変だという認識はあったかもしれませんが、主催する会社としてもその間ライブや演劇での収入はゼロ。あるはずの売り上げがないだけでなく、ギャランティの支払いやチケットの払い戻し費用やそれに伴う人件費など固定費がかかっています。コンサートや舞台に関わる会社で一番最初に影響を受けたのはケータリング、お弁当屋さんでしょう。現場がないから発注もない。当初はそういうところから辛かった。この3カ月間でそういう辛い会社が徐々に増えています。演劇は2年先までスケジュールが決まっていますから、スケジュールをおさえた人たちに対してキャンセル料の支払いをし続ければ、うち以外にもいわゆる大きな会社と言われているところもものすごい経済的負担がある。裾野から崩れると思っていたのが、裾野とてっぺんから両方崩れそうというのが今の現状です。弊社の場合は不測の事態も想定して東日本大震災のあとくらいから有事のための準備をしていたので、仮に仕事がゼロになったとしても1年はやっていける。でも中小零細企業はそうはいかない。月単位でタイムリミットが近づいてくる会社が次々と出てくるのではないでしょうか。

 特に音楽のライブに関してはオリンピックが延期になったので、あらゆる会場がまた1年使えなくなる。延期したものを行う会場が減っているということです。来年のライブはまだ決定していないものも多いでしょうから、やめてしまおうということだってある。ワクチンができる、薬ができるっていう見通しが誰も立たない中で先の予定を組むのはとてもリスキーなこと。音響、舞台照明などステージを作る会社の人たちは倉庫代すら払えない状況が続いています。さらにオリンピックがなくなったことで関連の仕事を請け負っていた人たちの今年の収益のあてがなくなるわけですから、来年まで持つのかというのが一番心配です。

ーーソーシャルディスタンスが継続される中でのライブ、コンサート、演劇の開催について現時点ではどうお考えでしょうか。

堀:韓国や台湾で野球の試合を再開していますが、1万人の会場に1000人しか入れていません。たとえばホールでお客さん1人に対して前後左右半径2m空席にするとします。1000人のホールであれば200人も入ればいいほうですが、果たしてそれでもやる意味があるのか。残りは配信で、と言っても配信に同じチケット代を払う人はいるのか。スカスカで盛り上がっていない映像が流れて、毎回映像の機材を入れて、毎日それをやるということが果たして現実的なのか。それでもやるんだという人たちはやるかもしれないけれど、少なくともライブハウスを中心にやっている若い人たちは会場でライブをすることが年単位で難しくなってくると思います。自宅かリハーサルスタジオからの配信に頼らざるを得ない。物販も当然Eコマースということになる。しばらくの間は非接触がキーワードになるので、握手会、サイン会、インストアイベントもできなくなる。レコード業界も含めて仕組みを根本的に見直さないといけなくなってくると思いますね。

 ただ、音楽は会場にこだわらなければ、工夫すればどこでもできるものではあります。ライブは映像でも楽しめるものだという新たな価値観が生まれるかもしれません。一方で舞台の場合は正直厳しい。今まで1~2カ月やってきたものが4~5日となると大きな作品の上演は無理です。外国の作品は契約上映像化も配信もすることができないですし。たとえば1万円のチケットだった公演を8万円にして200人のためだけに見せる。そんなことをしないと、とてもじゃないけど収支プラスマイナスゼロにももっていけない。リアルで音楽や演劇を楽しむことがものすごく贅沢品になる可能性が考えられます。今後他の国がどのような対策をとるのかによっても変わってくるところはあるとは思いますが、そんな時代が続く可能性だってないとは言えません。これまでに近い状態に戻るまでには年単位、あるいは2年かかってもおかしくはない。最悪のことを想定しておくとそうなります。

ーー堀さんは国内外の情報に広くアンテナを張っていらっしゃいますが、コロナ禍におけるエンターテインメントにまつわる取り組みで気になったものはありましたか。

堀:これまでお話してきたように、日本の場合はエンターテインメントに特化した補償や助成が今のところないのが一番の問題です。J-LODlive(「コンテンツグローバル需要創出促進事業費補助金」)という海外発信についての助成金が補正予算として約878億円あるのですが、あくまで海外発信に関する助成金であって、コロナ禍に対する個別の補償はないんですね。あるのは他の事業者と同じ給付金制度のみです。

 たとえばドイツはコロナ禍における財政支援7500億ユーロ(約90兆円)のうち最大500億ユーロ(約6兆円)はアーティストや個人事業主に充てられます。イギリスは芸術に関して1.6億ポンド(約216億円)がフリーランスの補償などに充てられる。フランスは2200万ユーロ(約26億円)が音楽だけで12億、民間の劇場に6億。イタリアは舞台・映画など視聴覚関係の企業、作家、芸術家、実演家に1億3000万ユーロ(約156億)。香港は芸術家全般に5500万香港ドル(約7億7000万円)が支援されることになってます。日本は収束後に官民一体の「Go Toキャンペーン」による消費喚起で1兆6,794億円を用意しているという話ですが、これにはイベント以外の旅行や飲食も含まれていますし、コロナが収束しているときには大半が倒れていたら意味がない。それに、これはチケットを買った人に対して2割の助成が出るもので事業者支援ではないですからね。あとはチケットの払い戻しをしていない人に対する税額控除についても一件一件確認して必要な場合は証明書を発行していますが、それもすべて人力で行っていて。結局その分の人件費もかかっているし、事業者が体力や資金を使わなければいけないものがほとんどなんです。事業者への支援がほとんど行われていない現状に対しては、今後も行政に働きかけていきたいと考えています。

エンターテインメントはある間にはリスペクトされにくいもの

ーー以前出演していたラジオで「エンタメがなくて死ぬものではないことはわかってる。でも、舞台も音楽もなくなったことを想像してみてほしい。必要な人もいるんだってことは想像してほしい」いう堀さんの言葉に強く心を打たれました。音楽をはじめとするエンターテインメントは社会、人々の人生においてどのような役割を果たしてきたとお考えですか。

堀:一番最初に自粛命令が出たとき劇作家の野田秀樹さんが「演劇の死」を危惧する内容でインタビューに答えていたのですが、それに対するネットでの批判がすさまじかったんですよ。そのあと日本音楽制作者連盟、日本音楽事業者協会、コンサートプロモーターズ協会の3団体が政府に対して要望書や声明を出したことに対してもものすごい批判がありました。そんなことは気にしなければいい話なのかもしれないけれど「そういう人たちがいるんだ」ということが最初に心が折れる瞬間だったんですよね。自分たちはなんのためにこの仕事をやってきたんだ、という悲しい思いがありました。

 私は毎年大学生に講演で話をする機会があるのですが、そのときいつも言っているのは「僕らの仕事なんてなくたってみんな生きていける。歌なんてなくても生きていけるし、水と食料と空気さえあれば、ただ生きていこうと思えば生きていける」ということなんです。ただ、生活をする上で冷蔵庫や洗濯機がないと今のみなさんは生きていけないでしょう。そこで考えてみてほしいのは、自分の人生を変えた冷蔵庫や洗濯機はあるのか、ということなんです。僕はもともとラジオの出身なのですが、番組に「死にたい」と電話をかけてきた人をパーソナリティが説得して自殺を思いとどまらせたことがあります。仕事がダメになって自暴自棄になっていた人がたとえば中島みゆきの歌を聴いて救われる。なにもやる気が起きなかったのにある映画を観て力が湧いてきたという人もいる。そういう冷蔵庫や洗濯機に出会ったことはありますか、と。

 家にいて冷蔵庫の前に立ちすくんで、「いやー俺は生きてるな」なんて思う人はいないですよね。でも地震が来て停電して冷蔵庫の中のものが腐っていったら「なんて便利なものなんだろう」と思う。だから本質的には冷蔵庫もエンターテインメントも同じなんですよ。なくなったときに初めて気がつく。これは多くのタレントが亡くなった後にリスペクトされることとも通じていて、エンターテインメントはある間、生きている間にはリスペクトされにくいものなんです。それは、きっとこれからも変わらないでしょう。

 僕らの仕事はすごく過小評価されているけれど、音楽や映像がなくなったと想像してみてほしい。新聞の活字ばかりを見て人生が豊かになる人がいますか。テレビドラマはつまらないと言う人もいるけれど、人生で突然人とぶつかって恋が芽生えることなんてありますか。エンターテインメントには人生にないものを補完していく役割がある。あったらいいなと思うものを補完していって自分ができない体験に関われる、あるいは自分で気づかなかった感情に気づいたり、感情移入ができるものなんです。それは自分に感情があるということを確認することでもある。人それぞれが自分が生きているという実感を持つことができる、そのためにエンターテインメントはあるのだと思います。テレビもつけない、音楽も聴かない、本も読まない、なんのエンターテインメントにも触れないで数カ月過ごしてみたら、きっと多くの人はおかしくなりますよ。なかには困らない人もいるのかもしれないけれど。そういうことだと思います。

ーー堀さん自身が人生のなかで心を動かされたエンターテインメントは?

堀:たとえば歌だったら尾崎豊の「15の夜」を聴いて「自分と同じことを考えている人がいるんだ」と気がつくことはあったし、子供のときに観た映画、ミュージカルでいえば、劇場に入るとワンダーランドが広がっていて、オーケストラの音が流れてみんなで歌い踊る姿を見て感動しました。「なんて幸せなんだ」と思うことがお金を払った価値になる。作る側になってからは作品に感動したという声を聞くことで、みなさんの人生に思い出をつくることができたと、意味のあることをしたと感じることができます。エンターテインメントを通じて「また明日からがんばろう」とか、「人間は捨てたもんじゃないな」とか、逆に「人間ってひどいものだな」とか、さまざまなことを思い、考えることができるのが一番。僕自身が心を動かされたものは、数えたらきりがないですね。

 人間って暗い気分だから明るいものを求めるわけではないじゃないですか。その時々の気分で求めるものは変わります。ハッピーなときはゴージャスなものが好きになるし、アンハッピーなときは暗いものが好きになる。ふつうに生活を送っていると、大人になればなるほど笑ったり泣いたりできることって世の中にはほとんどないですよね。僕らはちゃんと笑って、ちゃんと泣けるものをみなさんに提供する。およそ人間の喜怒哀楽に関するものは全てビジネスにするということをやってきたわけです。ハッピーなものだけを作ってるわけではなく、おどろおどろしいものもやれば、残酷なものもやる。あらゆる物事から目を逸らさないということは頭を使うことにもなります。

一一人と人との物理的な距離が問題となる中で、今後人との関わり方にも変化があるように思います。感情の豊かさにおいても影響を及ぼしかねません。

堀:子供が学校に行けず家の中にいると、テレワークをしている人から静かにしてくれとマンションの中や近所から苦情が出る。家にいても声もあげられない。外に出ないと気が晴れない人、こんな状況で外出するなんてけしからんという人、いろんな戦いが起こっている。どっちが正しいのかだけの争いなので、世の中が怒りに満ちている状況ですよね。お気づきの方もいるかもしれませんが、今は悲しみも淘汰されつつあります。人の死が数字というかたちで日々更新されていて、悲しいということすらどこかに吹き飛んでいる印象がある。エンターテインメントにおける物語の最大公約数は、いつだって善と悪の戦いです。あっちはいい、こっちは悪い、それぞれの視点で考えや感情が揺れ動くさまを描いてきましたが、今はあらゆることにおいて現実世界からも物語が失われている。それは非常にまずいことなのではと感じます。

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