中村佳穂、君島大空らサポートする西田修大が振り返る、ギターとの出会いから音楽家としての目覚めまで

西田修大ロングインタビュー

「(CRCK/LCKSは)勝手に作ってた限界を壊してくれた」

――吉田ヨウヘイgroupの知名度がどんどん上がっていく中で、「音楽で食べていく」みたいなことを考えるようになったのは、いつ頃だったのでしょうか?

西田:それこそ「ミュージシャン」っていう職業を最初に意識するようになったのはboboさんとの出会いなんですよね。大学3年のときにboboさんがくるりでフジのグリーンに出て、そのとき「お前も来いよ」って、連れ回してくれて、「グリーンで演奏すると、後ろまでほんとみんな嬉しそうで、あんなの初めて見た。お前も見てえだろ?」みたいなことを言ってくれたり、夜までずっと一緒に飲んでて、「じゃあ、俺苗プリ帰るから。おまえキャンプだろ? まあ頑張れよ」みたいな(笑)。

――あはは(笑)。

西田:そうやって憧れを持たせてくれたので、その頃から「音楽で」っていうのは思ってたんですけど、今思えば、まだ覚悟みたいなものは緩かった気がします。吉田ヨウヘイgroupに関しても、Wilcoがひとつの理想だったから、バンドとして「こいつらが揃えば最強」でありつつ、それぞれも自立した音楽家である、みたいなのが一番かっこいいとよく話してて、ずっと意識はしていて。でも……おそらく3年前くらいまでは、その気持ちがまだドライブし切っていなかった気がしますね。

――吉田ヨウヘイgroupは2016年に一度活動休止をして、その後に新体制で再始動したわけですが、そのタイミングでいろいろ考えたこともあっただろうし、その頃から対バンの幅も広がって、今一緒に活動してるミュージシャンたちとの出会いも経験する中で、徐々に音楽家としての決意みたいなものが固まって行ったのかなって。

西田:ホントにそうだと思いますね。吉田ヨウヘイgroupで3枚目を出して、その後に休止をしたんですけど、当時は結構やり切った気持ちで、「次は何をやればいいんだろう?」と思って、それを見つけられないのを人のせいにしちゃってるような部分もあったんですよね。で、結局我慢できなくなってすぐに復活したんですけど(笑)、その年の年末に「Mikiki忘年会」っていうイベントがあって、TAMTAMとかWONKも出てたんですけど、そこでCRCK/LCKS(以下、クラクラ)と出会ったことがホントに大きくて。12月に対バンして、1月にバイトをやめたんで、それは完全にクラクラのせい(笑)。

――何がそんなに衝撃だったのでしょうか?

西田:まずライブがめちゃめちゃかっこよかったし、バンドとしても、メンバーそれぞれの魅力や完成度もすごかった。俺はそれまで勝手にくすぶってて、まだやれることがいろいろあるってわかってるのに、「どうすりゃいいんだ?」って思いこんじゃってるようなところがあったんですけど、「こんなにやれることあるんだ」って、勝手に作ってた限界を壊してくれたというか。あとは、それまでバンドをやってる中で、きっと少し斜に構えてる部分があって。

――というと?

西田:例えば、あいつらと楽器の話で盛り上がって、「お前らホント音楽の話しかしねえな」って言われたときに、それまでの俺だったら「いやあ、ハハハ」みたいな感じだったと思うんです。でも、銘くん(井上銘/Gt)とか「そりゃあ、ギターに賭けてるんで」って、なんのてらいもなく言うし、小西(小西遼/Sax,Vocoder)とかも「まず練習っしょ」みたいな、めちゃくちゃ本気なのを、変に誇張する感じでもなく、ただストレートに出していて、それがめちゃくちゃ気持ちよくて。「働きながら音楽をやるのは違う」と思ったことはなくて、その方が自由を得られることも絶対あるし、やり方はそれぞれだと思うけど、でもそのときの俺は「こいつらとやっていくためにも、ずっと音楽だけやりてえな」って思って、そこから覚悟が強くなった感じですね。

――CRCK/LCKSには石若駿くんもいて、そこから彼のソロプロジェクトの「Songbook」への参加にも繋がったわけですか?

西田:駿と出会えたきっかけは一緒に岡田拓郎の『ノスタルジア』に参加したときでした。でもそのときはまだそこまで強い接点を持ったわけじゃなくて。クラクラとやったときがちょうど最初の『Songbook』ができたときで、家帰って聴いたらめちゃくちゃよくて朝まで聴き続けたんです。で、「めちゃくちゃよかった」って伝えたら、「今度ギター弾いてよ」って言ってくれて、一緒にスタジオ入って、飲みに行って、そこから仲良くなった感じですね。

――クラクラにしろ、WONKにしろ、ジャズ出身のミュージシャンがバンドを組んで、ライブハウスに入ってきたのがその頃で、その背景にはもちろん海外での新たなジャズの盛り上がりもあった。そういったシーンの変化をどのように感じていましたか?

西田:めちゃめちゃ感じてました。あいつらに会って、よく話すようになって、このままどんどん垣根がなくなっていって、ヤバいけど、面白いなって。でも、今は意外とそうでもないですよね。当時は2~3年後にめちゃくちゃシーンが入り乱れてると思ってたけど、やっぱりそれぞれの感性があるから、いい悪いの話ではなく、今もそれぞれの国みたいにはなってると思います。全部シームレスに行き来してるかっていうと、そうじゃない。なので、当時思ってたほどには変わってないけど、あの火が今もちゃんと暖まってる感じはしますね。

――去年で言えば、石若くんのAnswer to Rememberや常田くんのmillennium paradeが始まったり、ジャズを軸としたクロスオーバーがよりオーバーグラウンド化している一方、もっと広い視点で観ると、確かにまだ「それぞれの持ち場」という印象が強いかも。

西田:結局今って「ジャズのミュージシャンがポップフィールドに入ってきた」とか「ジャズのミュージシャンがオーバーグラウンドな形態もしっかり作れるようになった」みたいな話じゃないですか。でも、ロックバンドをやってたやつが、彼らと交錯して、ガツガツやってるとかって、俺はまだそんなに見たことがなくて、俺が当時夢見てたのはそういうことも同時に起こっている状態で。最初にジャズを聴き始めたときの話と同じで、特別ジャンルを意識してるわけじゃないし、ロックバンド代表みたいな雰囲気を出すつもりも全然ないですけど(笑)、でも今は「クロスオーバーって言ってもらっちゃってる」みたいな感覚かなって。

――それで言うと、ロックを背景に持ちつつ、今ではジャズと強い接点を持っていて、もはやそれをいちいち言う必要もないような立ち位置にいる西田くんの存在はやはり貴重だと思います。だからこそ、今ジャンル関係なく面白い表現をしている音楽家のライブに行くと、そこには必ず西田くんがいるっていう状況になってるわけで。

西田:すごく思うのは、ただ「ジャンルは関係ない」っていうのと、「自分はこれが好きで、誇りを持っていて、だからチャレンジできる」っていうのは、全然違う話っていうか。クラクラと会って強く感じたのはやっぱり後者で、みんなプライド、誇りを持って勝負しているのを強く感じたから、自分もそういう風にやりたいと思った。それだけなんですよね。(後編に続く)

西田修大 Tumblr

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