OMSBの俯瞰と主観を行き来した表現方法 「波の歌」先鋭的なリリック構造について考える

 ヒップホップがときに過剰なまでに露悪的あるいは差別的であったり、ボースティングによって資本主義的な競争を想起させるのは、その音楽が目の前にある現状を冷酷なまでに切り取っていることが大きな要因なのだろう。SNSでの“バズ”を狙ったような楽曲もそのような意味ではリアルといえるのかもしれない。一方、「波の歌」のリリック構造の一部はそういったものに抗っているように感じる。そもそもエコーチェンバーの掛かったタイムラインやキュレーション・アルゴリズムによって画一化されたインターネットが、本物のリアルと言えるのだろうか。「波の歌」で歌われているのは、ネット上に蔓延る断片的な情報や鋭い言葉ばかりで彩られたSNSの中で忘れ去られそうになっている、ナチュラルに揺れ動く人間の姿だ。また、フックにある〈がんじがらめ がんじがらめ〉は、自らもそういった社会の一部であることへの諦念のようだ。この曲で描かれている人間の姿こそ現代社会のあり方を的確に捉えているように思えるし、同曲がヒップホップとして卓越している点は、自身のなかにある“リアル”を斬新なリリック/フロウで表現しているところにある。その点において(アルバムと1曲を比較するのは野暮ではあるが)ケンドリック・ラマーの傑作『To Pimp A Butterfly』とも比肩しうる魅力を備えた曲ともいえるだろう。

 アメリカで注目を集めているネット社会に疲弊した人々によるセルフケア。そのテーマソングともいえるアリアナ・グランデの「thank u, next」は彼女の物語を通して他者を肯定し何より自分を赦す歌だが、「波の歌」は全く対照的で物語に頼ることはない。しかし、視点の移り変わりが入り組んだ構造は結果としてリスナーの想像力を喚起し思考や感情の機微に、そして葛藤に寄り添っている。だから、満ち引きを続ける波のように、揺れ動く人の心へと、この歌は流れ着くのだと思う。

■高久大輝
93年生まれ。ライター。音楽メディア『TURN』編集部。

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