日本のハードコアが世界で認められていることを実感ーーISHIYAのアメリカ西海岸ツアー記

ISHIYAのアメリカ西海岸ツアー記

オークランド Manic Relapse Fest

最初に発表されたフライヤーから続々と出演バンドが増えていき、最終的にこの形となる。
デザイナーに依頼したと思われる第2弾フライヤー。日本のバンドも出演するため日本語での表記もある。個人的にはこのフライヤーが一番好きである。
3種類目のフライヤー。おそらくInstagram用であると思われる正方形のデザイン。
previous arrow
next arrow
 
最初に発表されたフライヤーから続々と出演バンドが増えていき、最終的にこの形となる。
デザイナーに依頼したと思われる第2弾フライヤー。日本のバンドも出演するため日本語での表記もある。個人的にはこのフライヤーが一番好きである。
3種類目のフライヤー。おそらくInstagram用であると思われる正方形のデザイン。
previous arrow
next arrow

 カリフォルニア州オークランドはサンフランシスコの隣町で、筆者が初めてアメリカに訪れた際に一晩中銃声が鳴り響くなど、かなり危険な街として強烈に印象に残った街である。しかし到着してみると、1軒のホテルがほとんどパンクスで貸切り状態になっていて、メイン会場まで徒歩ですぐという素晴らしい立地だったためにかなり安心した。

 今回で7回目の開催となる『Manic Relapse Fest』だが、メイン会場は約1000人規模で大小2つのステージがあり、昼間にレコードショップで行うショーや写真展、アートギャラリーでのショーなどがあるほかにも、野外のスケートボードランプのある場所で行うショーや、普通のライブハウスで行うショーなど、3日間昼から夜まで楽しめるフェスだった。

1日目メイン会場スモールステージのENZYME。素晴らしいライブで、是非日本でもまた観たいバンドである。
PYHAT NUKETで楽しそうに盛り上がる観客たち。
日本のATACK SSは2日目のスモールステージに登場。
2日目スモールステージでの韓国から来たSCUMRAID。圧巻のステージで、この日はSCUMRAIDから観客の盛り上がりが物凄いことになっていった。
3日目デイショーでのRADIOACTIVE。
 
アメリカでのHAT TRICKERSの人気は高く、3日目で遠い会場にも関わらず多くの観客が押し寄せた。
 
 
previous arrow
next arrow
 
1日目メイン会場スモールステージのENZYME。素晴らしいライブで、是非日本でもまた観たいバンドである。
PYHAT NUKETで楽しそうに盛り上がる観客たち。
日本のATACK SSは2日目のスモールステージに登場。
2日目スモールステージでの韓国から来たSCUMRAID。圧巻のステージで、この日はSCUMRAIDから観客の盛り上がりが物凄いことになっていった。
3日目デイショーでのRADIOACTIVE。
 
アメリカでのHAT TRICKERSの人気は高く、3日目で遠い会場にも関わらず多くの観客が押し寄せた。
 
 
previous arrow
next arrow

 DEATH SIDEのほかにも日本からHAT TRICKERS、RADIOACTIVE、ATTACK SSなども出演し、旧知の友人のバンドであるオーストラリアのENZYMEや韓国のSCUMRAID、フィンランドのPyhät Nuket、アメリカツアーを2度一緒にまわったLONG KNIFEなどが出演するほかにも、The MobやMOB47といった80’sハードコアレジェンドも出演するなど、40バンド以上が出演するかなり大きな規模のフェスになっていた。

 初日に会場へ行ってみるとかなりの観客で埋め尽くされている。D.I.Yシーンのフェスのため、観客席にはハードコアパンク、クラストなどの姿が多く見られた。フェス2日目の昼間の野外ショーは、サウンドチェックがあるために行けなかったのだが、ものすごい雰囲気になっていたようだ。客席にあるゴミ箱には火がつけられ、バンドの演奏中には発煙筒が焚かれる中観客とバンドがもみくちゃになるという、かなりカオスでありながらもこれぞPUNKといったライブだったとのこと。

 出演した日本のRADIOACTIVEに話を聞いてみると、少し恐怖感を覚えるほどのライブで「怪我がなくてよかった」とホッとした様子だった。RADIOACTIVEでヘルプのボーカルをつとめた初アメリカ体験のヨーカイによると「アメリカはPUNKが過ぎる!」というほど、かなり凄まじいショーだったようである。ENZYMEのギターYEAPからも「ISHIYAは気にいるライブだと思うぞ。次は出た方がいい」と言われるなど、見逃したことを後悔する凄まじいライブになっていたようだ。

 フェス2日目は土曜日で、メイン会場でのライブはこの日の夜で終了となる。チケットもソールドアウトのようで、世界中のパンクバンドが集まるアメリカのフェスで、日本のバンドが大トリという光栄に応えなければならない。

 小さいステージで演奏した韓国のSCUMRAIDの凄まじさや、オーストラリアのENZYMEの素晴らしさもさることながら、メインステージでDEATH SIDEの前に登場したThe Mobの名曲「NO DOVES FRY HEAR」では落涙するほど感動してしまった。

 こんなレジェンドと対バンできるだけでも幸せなのだが、DEATH SIDEとして日本のハードコアパンクを世界に伝えなくてはならない。DEATH SIDEがライブをする目的は、自分の想いを伝えたり目立つことではなく、2007年に永眠したギタリストCHELSEAの想いを感じてもらうことの一点に尽きる。

 ステージで演奏が始まる直前にギタリストの弁慶とORIにその想いを伝え、超満員の会場のメインステージに上がった。観客席に対峙した瞬間、全ての想いが解き放たれ5人の音が重厚に絡み合い、演奏していてこれほど高揚感が得られるものなのかと感動するほど満足いくステージができたように思う。CHELSEAが楽曲に込めた想いが完全に伝わった感触もあった。

 書ききれないことばかりの5日間だったが、ここまで大きなフェスにこれだけ多くの日本のバンドが出演している事実を見ても、日本のハードコアは世界に認められていることがわかるだろう。

 そんな中世界中でDEATH SIDEを求めてくれている観客の多さにはいつも驚かされる。CHELSEAが世界に認められていることが、DEATH SIDEにとって何よりも嬉しく感激することだ。いつとは言わないが、現在のDEATH SIDEにも終わりがくることは決まっている。その間にCHELSEAの魂を感じてもらえるように、この5人で全力を尽くしていく。機会があれば是非CHELSEAの魂に触れてほしい。

 最後にLAとオークランドのショーをオーガナイズしてくれたChristianに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。それではまたどこかのライブで。

(PHOTO by Albert Licano)

■ISHIYA
アンダーグラウンドシーンやカウンターカルチャーに精通し、バンド活動歴30年の経験を活かした執筆を寄稿。1987年よりBANDのツアーで日本国内を廻り続け、2004年以降はツアーの拠点を海外に移行し、アメリカ、オーストラリアツアーを行っている。今後は東南アジア、ヨーロッパでもツアー予定。音楽の他に映画、不動産も手がけるフリーライター。FORWARD VOCALIST ex.DEATH SIDE VOCALIST

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「音楽シーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる