YoshimiOという稀なる表現者ーーSAICOBAB演奏やトークショーで存在を紐解いた能楽堂イベント

YoshimiOライブ&トークショーレポ

 そしてライブ終了後30分ほどして、YoshimiOが音楽評論家の原雅明と共に登場してトークが始まる。両人も言っていたが、ライブのあとに当のミュージシャンが登場して自分の音楽を説明するというのはかなり珍しい。考えようによってはかなりヤボな試みだが、YoshimiOの気さくで飾らない人柄もあって、会話はややぎこちないながら和やかに進行する。原の持参したMacから再生される楽曲を聴きながら、Boredomsを離れたソロアーティストとしてのYoshimiOの歩みを追っていく。

Keisuke Kato/Red Bull Content Pool

 最初に流されたのが、YoshimiOがSonic Youthのキム・ゴードンらと結成したバンド、Free Kittenのシングル「Oh Bondage Up Yours!」(1993年。X-Ray Spexのカバー)。この時代らしいローファイ極まりない荒々しいガレージサウンドだ。バンド加入のいきさつやバンド名の由来などが語られる。Boredomsがメジャーデビューする直前に結成されたバンドだが、この時代すでに、Sonic Youthを始めとする海外の音楽家たちからも注目度が高く、YoshimiOも日本と海外の壁を越えた自由な活動を行っていたことが明かされる。

 続いてUFO or DIE(Ultra Freak Out Or Die)の唯一のアルバム『カセットテープ・スーパースター』からの「We Are Rice」が流される。Boredomsの山塚アイがYoshimiOらと共に結成したバンドで、バンド名通りのフリークアウトしたスカムサウンド。YoshimiOから、初めてドラムをプレイしたバンドだったことが明かされる(つまりBoredoms加入前だった)。「ドラムは(他の楽器と違って)叩いたら音が出る楽器だから、初心者でも思いきり叩くことができた。人間が作ったわざとらしい楽器はお膳立てされてるから使いやすい。キレイに鍵盤が並んでるピアノとか。そういう楽器も好きだけど、でももっとプリミティブな楽器と相性が良い」という発言も。原から民族楽器的なものをよく使いますね、と振られ「民族楽器じゃなく神様が使った楽器を、衝動でやってる感じ」と答えるあたりがYoshimiOらしい。

 次に、Cibo Mattoの本田ゆかとのコラボアルバム『Flower With No Color』(2003年)の曲を聴き、同作の制作がどのように行われたか、エピソードと共に語られる。フィールドレコーディングした素材を元に2人が楽器を丹念に重ねていった一種のアンビエント、環境音楽だが「即興、遊びを音楽に落とし込んだ感じ」で、「作為的な重ね方が嫌なので、できるだけ自然に、隙間に入り込むように自然に融合させる」 と語る。「即興をレコーディングに使うために長く編集する時、日本の環境では(スタジオ代などがかかるので)なかなか難しい」という話も。

 次はスウェーデンのアーティスト/音楽家マッツ・グスタフスンとの共演作『WORDS ON THE FLOOR』(2007年)から。

 YoshimiOはこうした海外のミュージシャンとのコラボ作が多いが、YoshimiO自身は「呼ばれれば、誘われればやる」というスタンスで、自分から積極的に相手を探して共演するという方ではないようだ。「流れがあって出会いがあってタイミングがあえばやる」ということだが、受け身というより、自然体ということだろう。アルバムは42分にも及ぶ長尺の曲もあるが、この日聴いたのは3分余りの「Soundless Cries With Their Arms In The Air」という曲。グスタフスンのフリーキーなサックスとYoshimiOの自在なボイスパフォーマンスが絡み合うオーガニックでエクスペリメンタルな曲だ。YoshimiOの「歌」に関する姿勢はといえば、「(共演者は)声にこだわる人が多い。キャーと叫んでくれというような。ドラムを叩いていると叫んでしまう。歌うより先に叫ぶ。衝動的というか。それが自分にとって一番やりやすいし、それは昔から変わらない。でもちゃんとコントロールはする。ちゃんとした器を作っておかないと、パッとくる衝動は掴めない。メロディのある”歌”も好きだけど、構成の決まった歌は苦手」だという。SAICOBABやOOIOOでは叫んでいるのではなく歌っているのだ、という発言もあった。

 YoshimiOはトーク中、自分の曲を聴きながらクスクス笑っている。自分の作品(音源、録音物)を聴き返すことはないそうで、改めて作品を聴いて気づくこともあるようだ。彼女にとって音楽とはその場のプレイでいかに燃焼できるかがポイントなのだろう。 

 この日彼女の発言でもっとも「らしさ」が表れていたのが、西洋音楽への考え方だ。「チューニングなんて狂って当然。チューニングは西洋音階に合わせているだけだから。音階はその人ごとにあって当然だし、それをムリに西洋音階に統一して、そこから外れているものを悪いものとして排除するような考え方はおかしい」という発言は、彼女の音楽観の根底にあるものだろう。西洋音楽の12音階の間にあるもの、微妙にずれた淵の際で鳴っているような、そんな音楽が、彼女がやろうとしていることだからだ。OOIOOやSAICOBABでガムランを導入しているのも、そうした考えの実現である。

 次は「最新音源」として、昨年リリースされた『Flower Of Sulphur』というアルバムから。YoshimiOを含む3人の即興音楽家のセッションを収めたもので、ドラムス/パーカッション、声、モジュールシンセを使ったフリージャズ的な音楽である。

 最後はSAICOBABの最新アルバム『SAB SE PURANI BAB』(2017年)から。YoshimiO自ら「グラインド・ラーガ・コア」と称するスピリチュアルもオーガニズムもトライバリズムも超えた摩訶不思議な唯一無二の音楽世界である。

 最後に一般客との質疑応答があり、「今までの人生で一番感動したアルバムは何か」という質問には、今パッと思いついたのでは、と前置きし、アルゼンチンの音楽家モノ・フォンタナの名作『Ciruello』(1998年)の名が上がった。

 YoshimiOは音楽のほか服飾デザイナーとして長いキャリアがあり、最近ではお店のセレクトシェフとして、南インド料理、ベジタリアン料理などもサーブしているという。そんなYoshimiOとは顔見知りらしい女性からの「YoshimiOちゃんは料理、服、音楽といろいろなものを作るけど、作るときに一番大事だと思うことはなにか」という質問には「自分をしっかりやること。自分をちゃんとしないと人には見せられない。料理、服、音楽、全部同じ。特に料理は人の口に入るものなので、めちゃくちゃ緊張する」との答えがあった。

 こうして40分のライブ、76分のトークショーは終了。筆者はBoredoms以降何度か彼女に取材する機会があったが、改めて話を聞き、彼女の考え方や音楽、表現する姿勢が一貫していてブレがないことがよくわかった。また、マメにアンテナを張っていないとなかなか知る機会もない彼女の音楽作品(特にコラボ作品)を聴くよい機会でもあった。これは要望だが、ぜひ彼女のこうした多面的な活動を統括的にカバーし情報発信するような公式ウェブサイトを作ってもらえないだろうか。Boredoms、OOIOOやSAICOBABなど個々のウェブサイトはあるが、YoshimiO個人に関しては日本語のWikipediaの項目さえもない現状は、この稀なる表現者に相応しいとは思えないのである。

(取材=小野島大/写真=Keisuke Kato/Red Bull Content Pool)

公式サイト

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「ライブ評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる