みきとPが語る、ボカロPを取り巻く現状への違和感「“踏み台”なんていう言い方はよしてほしい」

みきとP、ボカロP取り巻く現状を問う

楽曲の根底にある“言い切らないことの快感”

【みきとP/mikitoP】信じる者は救われない/初音ミク Those who believe shall not be saved/Hatsune miku mikitop

ーー今回のアルバム用に書き下ろされた新曲のうち、マイナー調の疾走感溢れるギターロック「信じる者は救われない」は、〈信じなければ 君は救われる〉というある種の悲観的な希望を書いた曲です。この曲はどんな着想のもと書かれたのでしょうか?

みきとP:この曲に関して聞かれるといつも口が重たくなってしまうんですけど……まあ、自分はちょいちょい人を信用しないところがあるので、それはなぜかというのを突き詰めていったような曲ですね。ただ、この歌詞の内容がそのまま自分の気持ちかと聞かれると「いや、そこまでではないけど」と言いたくなるんですけど(笑)、そこまで振り切った歌詞を書きたくなったんです。それとサウンド的には、自分がよく言われる“みきとP=切なロック”という部分に意識的に取り組んで、今の自分がそれをやるとどうなるかを組み合わせた曲ですね。

ーーこの曲で歌われる「裏切られるのであればいっそ信じないほうがいい」という考え方は、極端ではありますけど、ある意味真理でもあるわけじゃないですか。

みきとP:そうですね。でも、それはもっと軽い話でもよくあることだと思うんです。例えば、恋人同士の関係というのは「あれをやってくれない」という減点方式だとうまくいかないって言うじゃないですか。それは相手がやってくれると期待していたから、やってくれなかったときに傷が深くなるんだと思うんですね。そもそも加点方式なら傷は浅く済むだろうし、信じなければ裏切られることもないっていう。

ーーあるいは、この曲の歌詞は、例えばコミュニケーション不全の人や、思春期の自閉しがちな気持ちにも寄り添える内容だと思うんですよ。言っていることは極端ですけど、わかる部分はあるというか。

みきとP:そういうふうに共感することで、「他にも自分と同じようなことを考えてる人がいるんだな」って救われる部分があると思うんですよ。例えば本や曲の中に、表立っては言いにくい尖った言葉が出てきたとして、それが自分の考えてたことに近いと「あっ、俺が変だったわけじゃなかったんだ」と思えるし。だから、この曲は救われない部分がありつつ、何かそういう共感を得られたらうれしいなと思っていて。

ーーそれに歌詞の最後は〈「人は裏切る生き物だから 誰の事も信じられない」 それが君の正義でも 僕は君を信じるよ〉で締め括られていて、最終的には救いを感じさせる部分があります。

みきとP:他人を信じられないのはなぜかを突き詰めていくと、自分に自信がないからということになると思うんです。それは自分自身に人を信じることができるほどの自信や根拠がないということなのかな、と思っていて。その歌詞に出てくる「僕」というのは「自分」のことで、「自分のことは信じてあげてね」というメッセージを最後に込めたんです。人を信じられなくてもいいんだけど、まずは自分を信じてみよう、ということですね。

少女レイ/初音ミク Shoujorei_Hatsune miku みきとP/mikitoP

ーー本作には、2018年7月に動画が公開されて話題になった「少女レイ」も収録されています。この曲は夏らしいトロピカルで明るい曲調ですけど、歌詞は少し危うさを感じさせる内容で、様々な憶測を呼びました。

みきとP:この曲は『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』という、野島伸司さん脚本のTVドラマをモチーフに書いたもので、元々は夏をテーマにしたボカロコンピ用に書き下ろした曲なんです(『EXIT TUNES PRESENTS Vocaloseasons feat.初音ミク〜Summer〜』に収録)。『人間・失格』は劇中でセミがずっと鳴いてて、僕の中では夏のイメージが強かったんですね。主人公がいじめに遭って自殺してしまうお話なんですけど、子どものときに観て衝撃を受けて、劇中で流れてた楽曲も鮮烈に覚えてたんです。主題歌はサイモン&ガーファンクルの曲(「A Hazy Shade of Winter(冬の散歩道)」)だったので、「少女レイ」もエレキギターを使わずに全部アコギにしようと思って。

ーー「少女レイ」というタイトルもそうですが、歌詞の最後は〈透明な君は 僕を指差してた—。〉というもので、幽霊のような存在を示唆して終わります。

みきとP:タイトルを「少女レイ」にする前は、自分の中で「大場(誠)(『人間・失格』で自殺する少年の名前)の亡霊」という言葉がずっと頭の中にあったんですよ。ドラマでは大場が自殺したあとに、影山留加という男の子が大場の亡霊に悩まされるんです。彼は大場に振り向いてもらうためにいじめの首謀者になったり、いろんな愛のねじれがあるんですね。だからこの曲の中の子は「ずっと仲良しで友達を超えた相手が自分のせいでいなくなったんじゃないか?」って悩まされてるというか。罪悪感の具現化ということかもしれないですね。

ーーこの曲では思春期の揺らぎの切なさみたいなものがうまく表現されていると思っていて。みきとPさんの楽曲にはそういったモチーフを扱ったものが多いですよね。

みきとP:やっぱりその時代が楽しかったからじゃないですかね。自分自身がその時代に取り残されてるというか、何かにつけてフラッシュバックする時代というか。中高時代は楽しくなかったという人は多いけど、自分は楽しかったから、もしかしたらその檻の中にずっと囚われているのかもしれない。だから度々そういう要素が出てくるんだと思います。

ーー加えて、本作に収録されている「ヨンジュウナナ」「アカイト」の「サリシノハラ」から続く3部作もそうですが、みきとPさんの楽曲には、聴き手に深読みさせる要素がたくさん散りばめれられています。それはご自身の作家性として意識してる部分なのですか?

みきとP:自分はあまり白黒はっきりつけないタイプで、青でもなく赤でもなく紫という性格ではあるのかなと思って。たまに言い切ることもあるんですけど、自分の持ち味としては言い切らないことの快感というのがあるので、そういう意味では少し思わせぶりなことをすることは多いかもしれないです。でも、最近思うのは、白黒はっきりしてないグレーなものに「実はこうでした」って答えても、意外と残念がられないんじゃないかということで。こないだ友人の曲を自分なりの解釈でいい曲だと思って、その人に「あの曲どういう意味なの?」って聞いたら、自分が思ってた内容と全然違ってたんですよ。でも、別にそれがショックではなくて、作った側の思いとは違ってても、自分の解釈で聴くと感動できるし、結局聴き方は変わらなかったんですね。だから自分が作った曲に対して白黒の解釈をつけたからといって、全員に残念がられるかというとそうでもないんだろうなと思うようになって。

愛の容器/鏡音リン・みきとP Ai no Youki /mikitoP,Kagamine Rin

ーー聴き手がその曲に自分をどう投影するかが重要ということですね。ちなみに本作収録の「PLATONIC GIRL」や「愛の容器」には、ボカロの音声だけでなくみきとPさんの歌声も入ってますが、それは「ロキ」でのボカロと生声のデュエットスタイルの反響を受けてのこと?

みきとP:「PLATONIC GIRL」はそうかもしれないですね。この曲は元々わーすたさんに書き下ろした曲なので、ボーカリストが複数いる作りなんですよ。それにわーすたさんに提供する際の仮歌を自分で歌ってたので、ボカロ版を作ろうと思ったときに、「ロキ」も受け入れられたことだし自分の歌を入れても面白そうかなと思って。「愛の容器」に関しては、ボカロの歌にユニゾンで自分の歌を重ねるのは元々やったことがあるので、僕の中ではあまり奇をてらったつもりはないんですよ。これは僕と猫の曲なので、まあ自分が出てきてもいいだろう、と。

ーー「愛の容器」は一聴すると恋人同士の共依存的な関係性を描いた曲のように取れますが、みきとPさんと飼い猫のことを書いた曲だったんですね。

みきとP:そうなんです。前に飼ってる猫がふと玄関から飛び出したことがあるんですよ。そのときはその辺にいたんですけど、それ以降、猫が玄関を気にするようになったんですよ。その姿を見て、「この子にとっての幸せは何なんだろう?」って考えるようになったので、それを曲にしようと思って。だからこの曲で歌ってるのは「外は気になるだろうけど危ないし、俺が幸せにするからここにいて」っていうことですね。別に猫は「お腹減ったなあ」ぐらいしか考えてないかもしれないですけど(笑)。

ーーアルバムには、どこかナイアガラ風のポップな「NのONE」という新曲も収録されてますが、これはホンダの軽自動車、N-ONEのことですか?

みきとP:そうです。3カ月ぐらい前に、少し広めのスタジオがある家に引っ越したんですけど、そこは車がないと生活しにくい場所なので、新しく車を買ったんですよ。ちょうどアルバム用に新曲を作らなくちゃと思ってたので、かわいい車で気に入ってるし、今曲を書くなら車の曲かなということで(笑)。あまり余計なことを考えずに、自分で聴きたかった曲という意味では、最近の中でも一番素直に作った曲ですね。

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