『第61回グラミー賞』で象徴的だった人種と女性問題への提起 受賞作やスピーチなどから解説

第61回グラミー賞が象徴した“女性のパワー”

グラミーならではの豪華クロスオーバー

「カントリー、ラップ、ロック……なんであろうと、音楽は、我々の尊厳や悲しみ、希望や喜びを共有しあう手助けをしてくれます」

 サプライズ登場となったミシェル・オバマの演説が示すように、調和が感じられる番組構成でもあった。カントリー勢によるHIPHOPの紹介といった演出のみならず、パフォーマンスにおいても既存ジャンルや世代を超えた組み合わせが炸裂。カミラ・カベロとリッキー・マーティン、ケイティ・ペリーとドリー・パートン、ポスト・マローンとRed Hot Chili Peppers等々、クロスオーバーな文化継承の舞台は、これぞグラミー賞な豪華さだ。

 一方、今年度は直接的な政治要素が控えめとなった。その代わりに目立ったのは、受賞者によるグラミー賞批判だ。

受賞者によるグラミー賞批判

「俺たちは、事実ではなく意見によって決まるゲームをプレイしてる。ときに音楽ビジネスは、俺のようなミックス・レースなカナダ人や、ニューヨークのスペイン系の女の子、ヒューストンに住むトラヴィスのような存在を理解できない奴らによって回されてるんだ。大事なことは、もし君の曲が多くの人々に歌われてるのなら、すでに君は勝利を手にしているということだ」

 これは「God’s Plan」で最優秀ラップ楽曲賞を獲得したドレイクが子どもたちに宛てたスピーチだ。中継シャットダウンも話題となったこの演説は、マイノリティやHIPHOPに理解を示さない音楽業界のみならず「グラミー賞の価値」をも間接的に否定するものだ。「多くのリスナーこそ価値」とする姿勢は普遍的とも言えるが、ストリーミング王ドレイクが呈するからこそ、ひとつの現状を象徴している。それは「インターネット台頭によるグラミー賞の権威の低下」だ。今まで、圧倒的なブランド力と高視聴者数を誇ってきたグラミー賞は、ミュージシャンたちにとって絶好の宣伝機会だった。しかしながら、2019年のスターたちは、グラミー賞に頼らずともSNSやストリーミングを介して大金を稼いでいけるし、大衆に音楽を聴いてもらえる。リスナー側も同様で、アワードやTVをチェックしなくても簡単に音楽に出会える。こうした大局的な背景があるからこそ、人種や女性に関するイシューを緩和させようと、グラミーはパワー低下の流れを変えられない可能性がある。なにせ、トロフィーを貰い受けながらグラミー賞を批判したアーティストは、ドレイクだけではないのだ。

 最優秀新人賞を受賞した23歳のデュア・リパは、壇上でこうおどけてみせた。

「素晴らしい女性アーティストたちと共にノミネートされて光栄です。今年、私たちは本当に“ステップアップ”したんじゃない?」

 ここで出された「ステップアップ」とは、前述したポートナウ会長の失言からの引用であり、彼への反撃を意味するものだろう。去りゆく男性権力者に対して、若き女性がおもねることなく女性同士の連帯と誇りを示す。皮肉にも、アワードの権威低下を知らしめるこの構図こそ、第61回グラミー賞が最も「女性のパワー」を象徴した瞬間だったかもしれない。

■辰巳JUNK
ポップカルチャー・ウォッチャー。主にアメリカ周辺のセレブリティ、音楽、映画、ドラマなど。 雑誌『GINZA』、webメディア等で執筆。

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