欅坂46の躍進と反響から考える、アイドルという「総合芸術」の可能性

 欅坂46にとって重要なのは、デビュー初年の段階ですでに探り当てていたその豊かな表現形式の方であり、レジスタンスのイメージそのものではない。「サイレントマジョリティー」に並列して「キミガイナイ」や「手を繋いで帰ろうか」といった表現がすでに生まれていたことを思えば、今日グループの旗印のように語られる反抗の身振りは、欅坂46にとって数あるモチーフの一手にすぎない。

 そしてまた、欅坂46が手にした総合的なクリエイティブの高さは、常套句として語られるような「アイドルらしくない」ものとしてではなく、アイドルというジャンルの可能性を存分に見せつけたものとして捉えられるべきだろう。

「やっぱり、70年代、80年代のトップスターというのは、その当時の最高のクリエイティブをやっていた。アイドルというのは昔から、総合芸術としてクオリティの高いものをやっていたんですよね。いつの間にか、バンドブームがあったり、「アーティスト」の時代になり、「アイドル」って言ったら中途半端なものみたいに思われる時代がありました。でも海外で言えばマイケル・ジャクソンやマドンナがアイドルだったわけで、それがやっぱりメジャーとしての最高峰。そこを目指さないとな、くらいの気持ちですよね」(今野義雄、「月刊MdN」2015年4月号、p84)

 これは2015年初頭段階での乃木坂46を念頭に置いた、ソニー・ミュージックレコーズの今野義雄の言だが、ここには総合的な表現としてのアイドルが有する可能性についての矜持がうかがえる。この「総合芸術」としての視点は、アイドルというジャンルを捉えるうえで基本かつ重要だ。また、乃木坂46と同じく今野がクリエイティブを統括する欅坂46は、乃木坂46が結成当初から模索してきたアートワークや演劇性への目配りを、ややベクトルを変えた形で発展させることに成功したグループでもある。

 これら「坂道シリーズ」が近年のアイドルシーンを席巻したとすれば、それは視覚表現などを含めた多岐にわたる要素を高レベルで統合し、パフォーマンスアートの一形態としての「アイドル」の特性を引き出したことによるものだ。欅坂46もまた、「アイドルらしからぬ」ものを発明し得たのではなく、テーマ設定からアートワークまでを柔軟に駆使しつつ、それをポップアイコンたるパフォーマーによって体現しうる、アイドルという総合芸術の潜在能力を見せつけたことこそが肝要だった。

 2017年後半のアルバム、シングルリリースをみても、あるいは2016年のマスターピース「二人セゾン」をみても、レジスタンスなりロックなりといった限定的なテーマに回収されてしまうほど欅坂46の可能性は小さいものではない。先日、3月リリースの6thシングルの選抜発表が行なわれ、2018年の欅坂46のクリエイションも本格的に動き出す。総合的な表現の型を築いたこのグループのポテンシャルを低く見積もらないために、送り手はどのように次の一手を展開し、受け手はどのように次なるイメージを語れるだろうか。

■香月孝史(Twitter
ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。

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