矢野顕子の弾き語りは自由で圧倒的だった 『さとがえる/ ひきがたるツアー』東京公演レポ

矢野顕子『さとがえる/ ひきがたるツアー』東京公演レポ

 ここで第一部は終了して20分の休憩へ。そして、第二部が開演してステージの幕が開くと、そこには巨大な樹木が姿を現した。この日の美術を担当した、華道家の上野雄次による見事な一本の樹だった。その枝のひとつはピアノの弦へと延びて花を咲かせていた。

 そして、矢野顕子はピアノの前に座らずに、そのままステージの中央へ。立ったままスタンドマイクでアカペラで「Soft Landing」を歌いはじめた。やがて途中から弾き語りになるという演出とともに、第二部は始まったのだ。

 谷川俊太郎作詞の「引っ越し」は、作ったのはかなり前であるものの、あまりにも難しいためにライブでできなかったという。実際に生で聴く「引っ越し」は、アブストラクトにしてアヴァンな感覚すらあった。この日のライブで、アルバム『Soft Landing』に収録されたテイクと一番異なる楽曲だったかもしれない。

 「ほめられた」は、「ほぼ日刊イトイ新聞」の企画でほめられたために、お返しの楽曲として生まれたものだという。抑えたトーンのなか、ピアノの一音一音をじっくりと聴かせた。

 「バート・バカラックとハル・デヴィッド、イトイヤノみたいなものですね」と言って歌われたのが、バート・バカラックの「Wives and Lovers」。ジャズ色の濃い熱演となった。

 そこからまさかの選曲だったのが、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」だ。メロディは堅持しながらも、ピアノのアレンジは演歌ではなく、むしろジャジー。大胆にリミックスされたかのようなカバーだった。ジャンルにとらわれずに楽曲からストーリーを引きだして音にしていく矢野顕子の真骨頂だったと言えるだろう。

 「ラーメンたべたい」は、1984年の『オーエス オーエス』収録曲。その演奏は、長い年月を吸いこんだかのような熱に満ちていた。歌い終わった矢野顕子が「ラーメンにそんなにムキにならなくてもいいのにね」と笑ったほどだ。

 本編ラストは「夕焼けのなかに」。これもまたイトイヤノ作品だ。情感を込めた弾き語りに、この楽曲の重要性を実感し、この日のラストに置かれた意味も理解した。

 アンコールで矢野顕子は「さとがえるコンサートが毎年あることが奇跡だと思ってます」と語った。そして、ステージにスクリーンが降りてきて映しだされたのは谷岡ヤスジのイラスト。糸井重里作詞により谷岡ヤスジに捧げられた「SUPER FOLK SONG」が歌われた。1992年の初めての弾き語りアルバム『SUPER FOLK SONG』のタイトル曲だ。随所で歌詞を解説しながら歌う芸当には、さすが矢野顕子と思わせられた。

 そして、この日の最後は「SUPER FOLK SONG RETURNED」。「SUPER FOLK SONG」で駆け落ちしたふたりがどうしているのかを描いた、続編となる新曲だ。2曲続けて歌われると、25年の歳月を経たストーリーが鮮やかに浮かびあがった。

 濃厚なステージを終えた後、矢野顕子はファンに手を振りながら、ステップでも踏むかのようにステージから去っていった。楽曲の物語を読みこんだうえで、歌とピアノで新たな解釈を紡ぎだしていく圧倒的な表現力。こんな弾き語りライブができるのは矢野顕子しかいない。彼女が唯一無二の存在であることを体感させたのが『さとがえる/ ひきがたるツアー “ひとりでみんなに届けます”』だった。

 なお、終演直後に会場に流れたのは「鈴木慶一とムーンライダース」の「スカンピン」。これも心憎い選曲だった。

(写真=三浦憲治)

■宗像明将
1972年生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。近年は時流に押され、趣味の範囲にしておきたかったアイドルに関しての原稿執筆も多い。Twitter

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