ぼくのりりっくのぼうよみが問う、音楽表現で大切なもの「クオリティを無視するのは絶対ダメ」

ぼくりりの”音楽至上主義”宣言

夢は自分が幸せになるためのツールのひとつでしかない

ーー『Fruits Decaying』=“腐りかけの果実”というタイトルも、ジャケットのビジュアルもダークなイメージがありますが、全体的な世界観については、こういうものにしたいという思いはありましたか。

ぼくりり:どうなんだろう、“こういうものが歌いたいー”って作っていったというより、単純に“この音に一番合うテーマって?”というふうに考えていった感じもあったり。やっぱり全体的にダークなものが好きで、陰陽で分類すると絶対陰の人間なので、こういう形になったと思うんですけど、ただポップにはなるように、という感じで作りました。

ーーダークさの中にある心地よさというか。言葉で言うと、<苦しいだけの至福>(「朝焼けと熱帯魚」)など対象的な言葉が並べて使われていて、紙一重の快と不快のようなものが表現されている気がしました。苦しいことや悲しいことと、心地いいこと、気持ちいいことが並んでいて。それが、今のぼくりりの世界なのかなと。

ぼくりり:確かにそうですね。そういう比較、対比はすごく多いかもしれない。やっぱり変化すると、どうしてもそういうものが伴ってくるというか。例えば、快/不快を数値で表すとして、マイナス50からマイナス30に上がると、状態としてはまだ全然不快なんだけど、ちょっと「快」があるじゃないですか。全然不快ゾーンにいるけど、不快さが軽減されてうれしいーみたいな。逆に快が70から50になっちゃうと、プラスではあるんだけどなんだかなぁ、みたいな感じで。

 そういう感覚はけっこうありますね。前作の「liar」っていう曲でも、幸せであるということは、その幸せから少しでも下がると不幸になっちゃう、みたいなことにつながるから、幸福であることが逆に不幸を想起させるよね、ということを歌っていたので。

ーーそれは、自分のなかにある感覚ですか? それとも、ネットを始め、外部を観察するなかで見えてきたことなのか。

ぼくりり:これはぼく自身の感覚です。ずっと前からなんですが、常に「この幸せはいつか終わるんだろうな」みたいに思いながら過ごしちゃうみたいな。そういうひと一定数いると思うんですけどね。でも、実際の歌詞のなかでは、そんなにぼく自身が出てくることはないですね。ぼくの歌はほぼない、っていう感じです。「playin’」とか、全然嘘だし(笑)。お酒とかまだ飲んじゃいけないし。

ーー快/不快、幸/不幸の捉え方の話でいうと、「Butterfly came to an end」も象徴的ですね。<あれほど望んだ夢が 叶ってしまった まだ翔べない 自分のほうが 愛せた気がした>と。

ぼくりり:そうですね。それこそいきなり100まで行っちゃって、もうそこから上がれなくて困っちゃうみたいな。そういうのって、ぼく自身がそうというより、周りを見ていて思うことというか。夢を掲げてがんばっている人は、その夢が叶っちゃったあとどうするんだろう、ってすごく思うんですよね。そういうものを曲にしていった感じです。ぼく自身は、あまり夢とかいらない派なので。

ーー夢について歌ってはいるけれど、“いらない派”なんですね。面白い。夢や目標を掲げるべきだ、という風潮もあると思いますが、それに対して馴染めない感じがするということでしょうか。

ぼくりり:というより、夢は自分が幸せになるためのツールのひとつでしかない、という感覚なんですよね。例えば、世間一般では目標に向かって努力することの方が、富士急ハイランドに行くことよりも尊いとされている節があると思うんですけど、それは、人生を幸福にしていくという一番大きな目的のなかでは、そんなに大差がない気がして。ただ、遊園地は3日連続で行ったら飽きるし、夢や目標の方が長期間遊べていいゲームというか、ゲームとしての耐久力が違うっていうことなのかなと。どっちにしても、夢や目標を持つことがすべてでも、正義でも何でもないし、ただ幸せになるために有効に使うと便利、というだけ。クラウドファンディングで作った「find」っていう楽曲で歌ったことでもあるんですが。夢のために努力しているときも楽しいし、人生を幸福にするゲームのなかではすごく有効だけれど、必ずしもみんながそれを使わなくてもいいんじゃないかと。手段と目的が逆転しちゃうんじゃないか、というのはすごく思ってますね。

ーー夢や目標を持つことがすべてではない、と。

ぼくりり:そういうことをかなり直接的に歌っています。いまじゃないどこかを目指すために頑張る必要はなく、いまを満たしていくことが大事だと。これ、(アルフレッド・)アドラーも似たようなことを言っていたんですよ。ぼく、昔はけっこう目標至上主義者だったので、「何言ってるんだ? 違くない?」っていう感じだったんですけど、最近になって「そういうことだったのか」と思ったりして、少しだけそういう次元に近づけたのかなあと。この曲は4月くらいに作っていたんですけど、ちょうどその時期に「あ、そうだな」と思えた感じです。

ーーそれは音楽を通じて、ですか?

ぼくりり:なんでだっけな。音楽というよりは、『Noah’s Ark』での対談だったかもしれません。例えば、落合陽一さんはぼくの常識とはかけ離れた人だったし、誰にどんな影響を受けた、というのはちょっと忘れちゃったんですけど、いずれにしても目的至上主義というのは完全でなくて、ひとつ上の次元があるな、と思ったというか。

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