遠藤賢司はずっと“純音楽家”だったーー日本のロックの可能性広げた革新者としての歩み

 『東京ワッショイ』で自分は「不滅の男」だと歌った遠藤は、1991年に60cm四方の巨大ジャケットで25分強の長尺曲「史上最長寿のロックンローラー」を発売するなど、旺盛な活動を続けた。後年は、子供ばんどの湯川トーベン、頭脳警察の石塚俊明とのトリオである遠藤賢司バンドを中心に複数のバンドで精力的にライブを行っていた。

 彼の歩みをふり返ると、多様なアレンジにチャレンジして日本のロックの可能性を広げた革新者だったといえる。同時にデビュー作『niyago』収録の「ほんとだよ」を『東京ワッショイ』で再録音するなど、同じ曲を何度もとりあげ、変化させつつ歌う人でもあった。それは、多くのライブ作品を聴けばわかる。また、「カレーライス」のその後として、『恋の歌』(2014年)に「44年目のカレーライス」を収録するということもしている。

 遠藤は優秀なプレーヤーを起用した傑作を残す一方、弾き語りの比重が大きかった。ギター、ハーモニカを演奏しながら一人で歌った時の彼は、初期の段階からフォークでもありロックでもある振幅の大きさを持っていた。その感覚がバンド形態の多彩なアレンジにも反映されたのだ。彼は「不滅の男」を名乗るとともに「純音楽家」と自称したが、その「純音楽」の根本はギター弾き語りにあった。

 他のプレーヤーの音をとりはらい、彼一人の演奏になっても、十分以上に聴かせる。「カレーライス」のようなフォーク調の繊細な曲ばかりではない。スタジオ録音ではにぎやかな音がひしめいていた「東京ワッショイ」だってそうだ。例えば、『遠藤賢司デビュー45周年記念リサイタル in 草月ホール』(2014年録音、翌年発表)でのバージョンなど、コードストロークの力強さ、テンポの速さ、ボーカルの勢い、どれをとっても凄まじい。かつて『HARD FOLK KENJI』と題したアルバムを発表した彼らしく、アコースティックギター1本で激しくロックしているのだ。

 遠藤賢司は、晩年まで「純音楽家」だった。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『エンタメ小説進化論』(講談社)、『ディズニーの隣の風景』(原書房)、『ソーシャル化する音楽』(青土社)など。

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